荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)   
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キリス卜は警告(けいこく)しました。「預言者(よげんしゃ)ダニエルによって(かた)られた、荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)が、(せい)なる()()っているのを()たなら(これを()(もの)理解(りかい)させ)、その(とき)ユダヤにいる者達(ものたち)(やま) ()がしなさい․․․なぜならその(とき)()(はじ)まりから(いま)だかつて()く、二度(にど)()こりえない(おお)いなる艱難(かんなん)到来(とうらい)するからだ。それらの日々(ひび)短縮(たんしゅく)されなかったら、(だれ) 一人(ひとり)として(すく)われる(こと)はないだろう。」(マタイの福音書(ふくいんしょ)24(しょう)15-22(せつ)) (あき)らかに、「荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)」の到来(とうらい)は、(おお)いなる艱難(かんなん)(はじ)まりを意味(いみ)する(もっと)重要(じゅうよう)出来事(できごと)です!しかし、それは一体何(いったいなん)なのでしょうか?そして、それは何処(どこ)()きるのでしょうか?(だれ)もしくは (なに)象徴(しょうちょう)するのでしょうか?我々(われわれ)がそれを目撃(もくげき)するのはいつなのでしょうか?マタイは「これを()(もの)理解(りかい)させ」と警告(けいこく)しました。ですから(かみ)私達(わたしたち)に、未来(みらい)歴史(れきし)(もっと)重要(じゅうよう)出来事(できごと)(ひと)つを無視(むし)するのではなく、キリストの意図(いと)した(こと)理解(りかい)する(こと)(もと)めておられるのです。

 

ガ-ナ-・テッド・ア-ムストロング (ちょ)

 

キリストの「荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)」という奇妙(きみょう)警告(けいこく)は、文字通(もじどお)り「荒廃(こうはい)をもたらす(もの)憎悪(ぞうお)」を意味(いみ)し、専門家達(せんもんかたち)(あいだ)では、エルサレムを破壊(はかい)または「荒廃(こうはい)させる」(もの)によって、聖地(せいち)(まつ)()げられる偶像(ぐうぞう)、あるいは偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)道具(どうぐ)であると意見(いけん)一致(いっち)しています。

 

()まわしき(もの)」とは(かみ)()(きら)(なに)かであり、へブライ()Shakaz由来(ゆらい)します。 Shakazとは、(かみ)()わりに崇拝(すうはい)される(ひと)(もの)といった偶像(ぐうぞう)意味(いみ)します。

 

キリストはダニエル(しょ)()かれているものと(おな)じものについて(かた)っているのだとはっきり(おっしゃ)りました。ダニエルの預言(よげん) ()まわしき(もの)」という言葉(ことば)度々(たびたび)(あらわ)れます。ダニエル(しょ)(しょう)27(せつ)や11(しょう)31(せつ)、12(しょう)節等(せつなど)(れい)として()げられます。これらの書物(しょもつ)()まわしき(もの)正体(しょうたい)象徴的(しょうちょうてき)()()かしています。

 

ダニエルの預言(よげん)について、キットはこう()っています。「これはアンティオコス・エピファネスが神殿(しんでん)(けが)した(こと)預言(よげん)であったように()えます。(かれ)()かれた(ささ)(もの)祭壇(さいだん)(うえ)偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)祭壇(さいだん)()て、その神殿(しんでん)奉仕(ほうし)する(かみ)ジュピター・オリンポスに(けが)れた(もの)(ささ)げたと()われています。」(ジョン・キットのEncyclopaedia of Biblical Literature (だい)(かん) 22ページより)

 

ダニエルは(けもの)の10(ほん)(つの)合間(あいま)()えてくる「(ちい)さな(つの)」について()いています。(けもの)政府(せいふ)または支配者(しはいしゃ)象徴(しょうちょう)であり、それは3(にん)(おう)(たお)し、ついには神聖(しんせい)ローマ帝国(ていこく)の7(にん)指導者(しどうしゃ)(うえ)君臨(くんりん)する(こと)になるとされています。この「(ちい)さな(つの)」については(のち)(さら)(くわ)しくお(はな)しましょう。

 

荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)とそれをもたらす(もの)について、ダニエルはこう()いています。「(しか)り、(かれ)軍勢(ぐんぜい)(おさ)にまでのし()がった。(かれ)によって日々(ひび)供物(くもつ)廃止(はいし)され、その 聖地(せいち)失墜(しっつい)させられた。」(ダニエル(しょ)(しょう)11(せつ))

 

The Critical and Experimental Commentaryはこう(かた)っています。「(たし)かに(かれ)らの大切(たいせつ)(もの)(うば)われたが、厳密(げんみつ)にはアンティオコスによって「失墜(しっつい)させられる」(こと)はなかった。それは、もっと(おお)きな事態(じたい)未来(みらい)()こる(こと)意味(いみ)する。アンティオコスは数年間(すうねんかん)日々(ひび)供物(くもつ)(きん)じた。ローマ(じん)にいたっては、それを長年禁(ながねんきん)じ、神殿(しんでん)を「失墜(しっつい)」させた。そして、国内(こくない)信仰(しんこう)()けたユダヤ(じん)神殿(しんでん)再建(さいけん)し、モーゼの儀式(ぎしき)()(もど)した(とき)(だい)4の王国(おうこく)である(はん)キリストは、ローマと結託(けったく)して(ふたた)(おな)(こと)()(かえ)すだろう。」(ファウセットのEmphasis mine(だい)(かん)427ページより)

 

アンティオコスの支配(しはい)紀元前数百年前(きげんぜんすうひゃくねんまえ)()こった(こと)(かんが)えれば、(かれ)神殿(しんでん)への冒涜行為(ぼうとくこうい)が、終焉(しゅうえん)(とき)(かた)ったダニエルの預言(よげん)前兆(ぜんちょう)でしかなかった(こと)(あき)らかです。(ダニエル(しょ)12(しょう)4-11(せつ)

 

二番目(にばんめ)前兆(ぜんちょう)はマタイの福音書(ふくいんしょ)24(しょう)15(せつ)のキリストの警告(けいこく)(すこ)(あと)()こりました。ティトス(ぐん)による エルサレムの破壊(はかい)がそれです。「これは(たか)可能性(かのうせい)で、ユダヤ(じん)偶像(ぐうぞう)とみなすものに敬意(けいい)(あら)わすイメージを(かか)げた都市(とし)への、ローマ(ぐん)による侵攻(しんこう)(こと)であると(おも)われます。ローマ(ぐん)予想外(よそうがい)撤退(てったい)困惑(こんわく)救世主(きゅうせいしゅ)預言(よげん)(こころ)()めた者達(ものたち)に、預言(よげん)(ふく)まれた命令(めいれい)(したが)機会(きかい)をあたえました。((ちゅう):マタイ(しょ)24(しょう)16(せつ)の『(やま)避難(ひなん)せよ』というキリストの警告(けいこく)(こと))」(キット(だい)(かん)22-23ページより)

 

(ほか)にも、(のち)皇帝(こうてい)ハドリアンによって()された、(さら)詳細(しょうさい)()んだ聖地(せいち)冒涜(ぼうとく)もありました。ハドリアンはユダヤ(じん)侮辱(ぶじょく)する(こと)(まな)び、(かれ)らが()(きら)(いのしし)(ぞう)を、エルサレムの廃墟(はいきょ)(うえ)建設(けんせつ)されたベツレヘムゲートの(うえ)()えた(Euseb. Chron.,,i. p. 45, ed.1658)。そしてハドリアンはユダヤ(きょう)教会(きょうかい)要地(ようち)にジュピター・オリンポス(しん)神殿(しんでん)()て、(みずか)らの肖像(しょうぞう)(もっと)(せい)なる()一部(いちぶ)として()()いた。(ibid(だい)(かん)23ページより)

 

(なが)歴史(れきし)(なか)()こったこれらの()むべき事柄(ことがら)は、キリストの終末(しゅうまつ)預言(よげん)にはあてはまりません。キリストのオリヴェットの預言(よげん)時間設定(じかんせってい)をもう一度思(いちどおも)()して(くだ)さい。

 

「ですから、荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)聖地(せいち)()ちはだかるのを()たら、エルサレムにいる者達(ものたち)(やま)()がしなさい。なぜならその(とき)、この()(はじ)まりから(いま)だかつて()く、そして二度(にど)()こらない『(おお)いなる艱難(かんなん)』が()こります。それらの()が((かみ)啓示(けいじ)(せい)なる介入(かいにゅう)疫病(えきびょう)、キリストの再来(さいらい)などによって)(みじか)くされなかっ たら、誰一人(だれひとり)として(すく)われる(()(のこ)る)(こと)はないだろ う。しかし、(えら)ばれし者達(ものたち)(ため)に、その期間(きかん)(ちぢ)められるだろう。」(マタイの 福音書(ふくいんしょ)24(しょう)15-22(せつ)

 

なかっ たら、誰一人(だれひとり)として(すく)われる(()(のこ)る)(こと)はないだろ う。しかし、最後(さいご)冒涜(ぼうとく)が「(せい)なる()」で()()こされる(こと)についての警告(けいこく)は、(おお)いなる艱難(かんなん)(はじ)まりに直接関連(ちょくせつかんれん)しています。その特徴(とくちょう)(ひと)つに(おそ)ろしい諸聖人(しょせいじん)殉死(じゅんし)があります。(ダニエル(しょ)(しょう)20-21(せつ)とマタイの福音書(ふくいんしょ)24(しょう)(せつ)

 

(おぼ)えておいて(くだ)さい!「これら(すべ)てが(かな)しみ(艱難(かんなん))の(はじ)まりなのだ。」

 

(おお)いなる艱難(かんなん)とは(なに)なのでしょう?

 

キリストは、艱難(かんなん)とは歴史上他(れきしじょうほか)(るい)()ない(とき)であると()いました。ダニエル(しょ)にはこう(しる)されています。「その(とき)大天使長(だいてんしちょう)ミカエルが()つ。(かれ)はお(まえ)(たみ)()らを守護(しゅご)する。そして、艱難(かんなん)(おとず)れるだろう。(くに)(はじ)まって以来(いらい)、かつてなかったほどの艱難(かんなん)が。しかしその(とき)、あの(しょ)()(しる)されているお(まえ)民全(たみすべ)ては(すく)われるだろう・・・」(ダニエル(しょ)12(しょう)(せつ)

 

そのような(こと)二度(にど)()こるはずはありません。それは、(かん)ばつ、飢饉(ききん)伝染病(でんせんびょう)流行(りゅうこう)や、(おそ)ろしい殺傷兵器(さっしょうへいき)戦争(せんそう)での使用(しよう)といった、文明(ぶんめい)(はじ)まって以来起(いらいお)きた最悪(さいあく)の「事態(じたい)」を凌駕(りょうが)するものなのですから!

 

でも()って(くだ)さい。ダニエルは「そしてその(とき)」と()っています。(ダニエル(しょ)12(しょう)(せつ)) 一体(いったい)「どの」(とき)なのでしょう?各章(かくしょう)(へだ)てる()が、ダニエル(しょ)11(しょう)40(せつ)一貫的(いっかんてき)(かんが)理解(りかい)する(こと)(さまた)げになっているのです。ダニエル(しょ)11(しょう)40(せつ)から45(せつ)までの5(せつ)注意深(ちゅういぶか)()んで()(くだ)さい。

 

(みなみ)(おう)」はその(むかし)、エジプトの(おう)プトレマイオスとされてきた。それはシリアに戦争(せんそう)をしかけたファラオに(くら)べて(すこ)(ちい)さめの王朝(おうちょう)でした。シリアとエジプトはアレキサンダー大王(だいおう) 死後残(しごのこ)った(よっ)つの小国(しょうこく)(うち)の2つでした。(ダニエル(しょ)11(しょう)(せつ))「(きた)(おう)」は結果的(けっかてき)に、典型的(てんけいてき)荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)(まね)きよせた、アンティオコス・エピファネスと同一(どういつ)(もの)とされました。

 

しかし、預言(よげん)明確(めいかく)に「終焉(しゅうえん)(とき)」という歴史上唯一(れきしじょうただひと)つの(とき)(しめ)しています。(ダニエル(しょ)11(しょう)40(せつ)

 

(したが)って、プトレマイオス・ソーテールやアンティオコス・エピファネスは、この終焉(しゅうえん)預言(よげん)実現(じつげん)するであろう二人(ふたり)指導者(しどうしゃ)を、歴史的(れきしてき)(あらわ)した典型(てんけい)でしかないのです。

 

おそらく「(みなみ)(おう)」の役割(やくわり)()たす人物(じんぶつ)はアラブの指導者(しどうしゃ)でしょう。この(もの)は、(いま)()かるように、聖書(せいしょ)(けもの)同一(どういつ)の「(きた)(おう)」に(たい)して「圧力(あつりょく)をかける」でしょう。「圧力(あつりょく)をかける」と()表現(ひょうげん)武力行使(ぶりょくこうし)とまではいかないものです。政治的行為(せいじてきこうい)でしょうか?石油禁輸(せきゆきんゆ) しくはヨーロッパや世界(せかい)のエネルギーの途絶(とぜつ)(なに)かでしょうか?サダム・フセインのクウェート侵略(しんりゃく)、そしてその結果起(けっかお)こった(やく)30カ(こく)からなる軍事力(ぐんじりょく)のペルシァ(わん)での集結(しゅうけつ)(ため)(おお)くの(ひと)がサダムこそ「(きた)(おう)」または「(みなみ)(おう)」の役割(やくわり)()(もの)だと(かんが)えがちです。

 

(たし)かに、サダム・フセインは(ほか)(くに)に「圧力(あつりょく)をかけて」います。しかし、(かれ)は「(きた)(おう)」と()ばれる(だれ)か、もしくはその役割(やくわり)今日(きょう)()たしている、政治的(せいじてき)または軍事的(ぐんじてき)指導者(しどうしゃ)(たい)して「圧力(あつりょく)をかけて」いますか?

 

(こた)えは「ノー」です。フセインはアメリカ合衆国(がっしゅうこく)やイギリス、フランス、ドイツ、ソビエト連邦(れんぽう)、イスラ エル、日本(にほん)、サウジアラビア、そして、全世界(ぜんせかい)に「圧力(あつりょく)をかけて」いるのです!サダム・フセインの行動(こうどう)(たい)する反応(はんのう)は、(きた)勢力(せいりょく)によるイスラエル、エジプト、そして(ほか)近隣諸国(きんりんしょこく)制圧(せいあつ)ではなく、何十万人(なんじゅうまんにん)もの軍隊(ぐんたい)によるサウジアラビアへの侵攻(しんこう)です。

 

(きた)(おう)」の対応(たいおう)経済制裁(けいざいせいさい)長引(ながび)かせる(こと)やペルシァ(わん)での戦争(せんそう)ではなく、イスラエ ルやエジプトを(ふく)めた地域(ちいき)の「(おお)くの国々(くにぐに)」を(かみなり)(よう)()()っていく(こと)である(こと)にお気付(きづ)(くだ)さい。(ダニエル(しょ)11(しょう)40-42(せつ)

 

現在(げんざい)危機下(ききか)において、イスラエルに侵攻(しんこう)すると(おど)しているのはヨーロッパやアメリカ合衆国(がっしゅうこく)ではなく、イラクのサダム・フセインです。ダニエル(しょ)の11(しょう)40から45(せつ)注意深(ちゅういぶか)(まな)んで、()()ない結論(けつろん)()びつく人々(ひとびと)()(まわ)されたり、「アルマゲドン」が(ちか)いなどとヒステリックになったりし ないようにして(くだ)さい。

 

イスラエルとエジプトは終焉(しゅうえん)(とき)、「(きた)(おう)」によってどちらも占領(せんりょう)されています。ダニエル(しょ)の11 (しょう)40から45(せつ)は、「(きた)(おう)」がイスラム(きょう)指導者(しどうしゃ)である可能性(かのうせい)真向(まっこう)から否定(ひてい)しています。なぜなら、エジプトはイスラム(きょう)(くに)であるだけでなく、その(なか)でも最大(さいだい)のイスラム教信者数(きょうしんじゃすう)(ほこ)(くに)であるからです。エジプトはアラブ国家(こっか)現在(げんざい)キャンプデ ービッド合意(ごうい)観察(かんさつ)していますが、それでもエジプトは(ほか)のアラブ諸国(しょこく)宗教(しゅうきょう)共感(きょうかん)する(おも)いを(かて)結束(けっそく)(かた)め、イスラエルの「占領区域(せんりょうくいき)」からの武力撤退(ぶりょくてったい)(はたら)きかけています。エジプトを(ほか)のアラブの(くに)占領(せんりょう)する(こと)はありえません。エジプトは(つね)にゲルマン勢力(せいりょく)であった「神聖(しんせい)ローマ帝国(ていこく)」の最後(さいご)(とりで)なのです!(きた)(おう)とは預言(よげん)()てくる最後(さいご)(けもの)(こと)なのです。

 

さて、この(きた)軍事勢力(ぐんじせいりょく)はいつイスラエルになだれ()んでくるのでしょう?ダニエル は「終焉(しゅうえん)(とき)」と()っています。そして、(だい)12(しょう)一行(いちぎょう)まで()(すす)んでいくと、「その (とき)大天使長(だいてんしちょう)ミカエルが()ち、(くに)(はじ)まって以来(いらい)、かつてなかったほどの艱難(かんなん)(はじ)まるというダニエルの預言(よげん)()られます()()えると、それは(おお)いなる艱難(かんなん)(こと)です。つまり、(きた)(おう)がパレスチナ 侵攻(しんこう)するのと(とき)(おな)じくして(おお)いなる艱難(かんなん)(はじ)まるのです。

 

キリストの、荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)についての警告(けいこく)軍隊(ぐんたい)によるパレスチナへの侵攻(しんこう)(ふく)んでいました。それらの軍隊(ぐんたい)はダニエル(しょ)の11(しょう)40から45(せつ)において、(きた)(おう)軍隊(ぐんたい)として(しる)されています。キリストはこう()いました。 「そしてエルサレムが軍隊(ぐんたい)包囲(ほうい)されているのを()たら、かの荒廃(こうはい)(ちか)(こと)()りなさい。」(ルカの福音書(ふくいんしょ)21(しょう)20(せつ))

 

(だれ)にこの(おお)いなる艱難(かんなん)()りかかるのでしょうか?

 

キリストはこう警告(けいこく)しました。「その(とき)荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)(あらわ)れた(とき))ユダヤにいる者達(ものたち)(やま)()がしなさい」キリストはこうも()いました。その非難(ひなん)緊急(きんきゅう)(よう)突然(とつぜん)やってくるので、(だれ)衣服(いふく)家具(かぐ)、また()(もの)でさえも()りに(もど)ってはいけないと!キリストはこう警告(けいこく)しました。「屋根(やね) にいる(もの)自分(じぶん)(いえ)から(もの)()りに()ろさせてはいけない。」

 

そして「(はたけ)にいる(もの)にもまた、(ふく)()りに(いえ)(かえ)らせてはならない」と。(マタイの福音書(ふくいんしょ)24(しょう)16-18(せつ)

 

この警告(けいこく)該当(がいとう)する人達(ひとたち)間近(まぢか)(せま)った攻撃(こうげき)週刊誌(しゅうかんし)()んだりする(こと)も、(よる)のニュースでそれを(なん)()(げつ)間見(あいだみ)(こと)もないでしょう。なぜならそれは(おどろ)くべき(はや)さで「突然(とつぜん)」やって()るからです。キリストが想定(そうてい) した場面(ばめん)は、(おとこ)(はたけ) 仕事(しごと)をし、(つま)屋上(おくじょう)洗濯(せんたく) ()している(よう)日常的(にちじょうてき)風景(ふうけい)でした。

 

しかし突然(とつぜん)(だれ)予想(よそう)すらしない(とき)に、エルサレムの(まわ)りには、侵攻(しんこう)する軍勢(ぐんぜい)(あらわ)れるのです。

 

キリストの時代(じだい)のエルサレムでは、民家(みんか)(とな)()って(のき)(つら)ねていました。屋根(やね)(たい)らで、胸壁(きょうへき) あり、そこでは人々(ひとびと)談笑(だんしょう)したり、洗濯物(せんたくもの)()したり、子供(こども)(たち)(あそ)()として使(つか)われたり、(あつ)(よる)には寝床(ねどこ)となる(こと)もありました。一般的(いっぱんてき)に、家族(かぞく)仮設住居(かせつじゅうきょ)()()(えだ)()て、タバナクルの宴会(えんかい)(あいだ)はその(ちい)さな小屋(こや)()らしました。

 

ラビ(たち)は「屋根(やね)(みち)」という(もの)()(しる)しています。人々(ひとびと)(つら)なった屋根(やね)(うえ)(ある)き、(いえ)(なか)(はい)(こと) 街道(かいどう)()りていました。キリストは(かれ)警告(けいこく)(なか)でこれに言及(げんきゅう)しています。

 

ダニエル(しょ)預言(よげん)では、(おお)いなる艱難(かんなん)大天使(だいてんし)ミカエルが()った(とき)とされています。ミカエルは、イスラエルの王子(おうじ)である大天使(だいてんし)として「(なんじ)王子(おうじ)ミカエル」と認識(にんしき)されています。(ダニエル(しょ)10(しょう)20、21(せつ)(だい)12(しょう)では、ミカエルは「イスラエルの子供達(こどもたち)」に味方(みかた)すると(しる)されて います。(かれ)らはイスラエルの貴族(きぞく)であったダニエルの(たみ)子孫(しそん)です。

 

キリストの預言(よげん)にはその出来事(できごと)中東(ちゅうとう)とパレスチナのエルサレムで()こるとはっきりと(しる)されています!しかし(おお)いなる艱難(かんなん)世界規模(せかいきぼ)のものとなるでしょう。なぜなら、キリストとダニエルが(とも)に、それは「この()(はじ)まりから(いま)だかつてない」ものとなると()っているからです!(かれ)はまた、この世界恐慌(せかいきょうこう)(かみ)によって(みじか)くされなかったら、男女子供(だんじょこども)()わず、誰一人生(だれひとりい)(のこ)(こと)()いとも()いました。(マタイの福音書(ふくいんしょ)24(しょう)21-22)ですから、エルサレムの出来事(できごと)艱難(かんなん)(はじ)まりの(きざ)しを(しめ)していますが、艱難(かんなん)はパレスチナとエルサレムの都市(とし)(かぎ)られているわけではないのです。

 

しかし、キリストの警告(けいこく)により、(おお)いなる艱難(かんなん)が、荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)出現(しゅつげん)によって、エルサレムとパレスチナで(はじ)まるという(こと)がはっきりと()かります。さらに(くわ)しく()えば、その「()まわしき(もの)」は神殿(しんでん)(あらわ)れるのであり、そのような神殿(しんでん)はまだ存在(そんざい)していません。キリストの()(あらわ)した大災害(だいさいがい)はエルサレムそして現在(げんざい)「イスラエル」と()ばれる(くに)周辺(しゅうへん)(はじ)まります。キリストの深刻(しんこく)警告(けいこく)は、ダニエル(しょ)預言(よげん) (とも)に、(きた)軍事勢力(ぐんじせいりょく)によってエルサレムが侵略(しんりゃく)される(こと)(しめ)しています。

 

しかしイスラエルのユダヤ(じん)一部族(いちぶぞく)()ぎません。それはおそらく、(ほか)(ふた)つのユダヤの部族(ぶぞく)レヴィ(ぞく)とシメオン(ぞく)(つら)なるものです。従属部族(じゅうぞくぶぞく)であるヨセフ(ぞく)、エフライム(ぞく)、マナセ(ぞく)()わせて、全部(ぜんぶ)で13の部族(ぶぞく)存在(そんざい)しました。

 

ジェロボームの時代(じだい)から独立(どくりつ)した王朝(おうちょう)首都(しゅと)(ゆう)していた(きた)十部族(じゅうぶぞく)は、ユダの捕囚(ほしゅう)よりもずっと (まえ)にアッシリアの王達(おうたち)捕囚(ほしゅう)されました。紀元前(きげんぜん)721(ねん)から紀元前(きげんぜん)718(ねん)にかけて、その十部族(じゅうぶぞく)黒海(こっかい)とカスピ(かい)(あいだ)寒々(さむざむ)とした 大草原(だいそうげん)姿(すがた)()したのです!ユダがパビロンに捕囚(ほしゅう)されたのは、(やく)178(ねん)(あと)紀元前(きげんぜん)540(ねん)になってからでした。

                                                

追放(ついほう)されたイスラム(じん)(おお)くは二度(にど)とパレスチナへ(もど)(こと)はなく、川辺(かわべ)沿()ってヨーロッパやイギリス諸島(しょとう)へと移民(いみん)したのです!

 

アブラハムの(まご)、ヤコブは度重(たびかさ)なる(かみ)との遭遇(そうぐう)(あと)自身(じしん)()を「イスラエル」に改名(かいめい)しました。その詳細(しょうさい)上記(じょうき)(ほん)(しる)されています。

 

ヤコブは12(にん)子供(こども)()ち、それぞれが(おお)きな部族(ぶぞく)にその()(かん)する祖先(そせん)となりました。ヤコブは改名(かいめい)した(とき)から「イスラエル」と()ばれました。子供達(こどもたち)一人(ひとり)、ユダはシメオンやレヴィと一緒(いっしょ) 「ユダの(いえ)」と()ばれるようになりました。一方(いっぽう)でマナセ、エフライム、ガド、アッシャー、ダン、ナフタリ、ベ ンジャミン、ルベン、イサカル、ゼブルンは「イスラエルの(いえ)」を()ばれるようになりました。この(ふた)つの 家名(かめい)聖書(せいしょ)(おな)(よう)使(つか)われる(こと)(けっ)してありません。この(ふた)つのまったく(こと)なる王朝(おうちょう)領土(りょうど)首都(しゅと)言語(げんご)文化(ぶんか)そして宗教(しゅうきょう)などが(くわ)しく()かれた(ほん)現在(げんざい)(さつ)()ります!

 

ユダの「ニックネーム」である「ユダヤ」が聖書(せいしょ)(はじ)めて使(つか)われた(とき)、ユダヤ(じん)はイスラエルと対立(たいりつ)していました。

 

艱難(かんなん)見舞(みま)われるのはイスラエルのユダヤ(じん)のみならず

 

(おお)いなる艱難(かんなん)現在(げんざい)のイスラエルに()むユダヤ(じん)だけではなく「ヤコブの(いえ)」また「イスラエルの(いえ)」にもやってくる(こと)注目(ちゅうもく)して(くだ)さい。

 

「あぁ!それは(ほか)(るい)()ない(おお)いなる()だ。(マタイの福音書(ふくいんしょ)24(しょう)15(せつ)やダニエル(しょ)12(しょう)(せつ) 記述(きじゅつ)完全(かんぜん)一致(いっち)する比例無(ひれいな)(とき)です)それはヤコブにとっても艱難(かんなん)(とき)だが、(かれ)はそれから(すく)われるだろう。」(エレミア(しょ)30(しょう)(せつ)

 

(おお)いなる艱難(かんなん)とは一体何(いったいなん)なのでしょうか?それは(おそ)ろしい近代兵器(きんだいへいき)()()(すさ)まじい戦争(せんそう)がもたらす何百万人(なんひゃくまんにん)()病気(びょうき) 飢饉(ききん)飢餓(きが)()ったものです。それらはアメリカ合衆国(がっしゅうこく)、イギリス、カナダ、ヨーロッパ、オーストラリアや(みなみ)アフリカ、そして、(ほか)北西(ほくせい)ヨーロッパ諸国(しょこく)到来(とうらい)するでしょう。(とく)現在(げんざい)の「イスラエル」と()ばれる(くに)、つまりパレスチナにいるユダヤ(じん)多大(ただい)被害(ひがい)()けるでしょう。

 

ティトス(ぐん)先駆者(せんくしゃ)でした

 

キリストの重苦(おもくる)しいオリブ(さん)預言(よげん)をもう一度見(いちどみ)てみましょう。教会(きょうかい)とその建物(たてもの)(かべ)について(かれ)はこう(かた)りました。「これら(すべ)ての(もの)()えますか?はっきり()っておこう。(ひと)つの(いし)もここで(くず)れずに(ほか)(いし)(うえ)(のこ)(こと)はないだろう。」(マタイの福音書(ふくいんしょ)24(しょう)(せつ))その()(かれ)はこう(つづ)けました。「そして、この王国(おうこく)福音(ふくいん)は、あらゆる民族(みんぞく)に((たい)する)(あかし)として、全世界(ぜんせかい)宣教(せんきょう)されるだろう。そして終焉(しゅうえん)(おとず)れる。」(マタイの福音書(ふくいんしょ)24(しょう)14(せつ)

 

キリストが()(まえ)は、福音(ふくいん)少数(しょうすう)(もの)にしか(おし)えられていませんでした。(かれ)(なぞ)めいた訓話(くんわ)大勢(おおぜい)(かた)りかけました。(マタイの福音書(ふくいんしょ)13(しょう)10-17(しょう))そして、弟子達(でしたち)にはまだ(かれ)らが福音(ふくいん)理解(りかい)する(とき)ではないと説明(せつめい)していました。

 

キリストが弟子達(でしたち)に、パレスチナから()地球(ちきゅう)最果(さいは)てまで福音(ふくいん)()いてくるよう(つた)えたのは、キリストが復活(ふっかつ)(あと)弟子達(でしたち)(まえ)(ふたた)姿(すがた)(あらわ)した(とき)でした。(使徒行伝(しとぎょうでん)(しょう)7-8(せつ)

 

西暦(せいれき)70(ねん)(いた)るまで、比較的少数(ひかくてきしょうすう)者達(ものたち)だけが(かみ)王国(おうこく)福音(ふくいん)()いたことがありました。それは世界(せかい)(あかし)()てる(ため)(おし)えられたのでは(けっ)してありませんでした。それでもキリストは、荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)出現前(しゅつげんまえ)必要(ひつよう)(つと)めとして、これを(つた)(あた)えました。(かみ)証無(あかしな)くして世界(せかい)見放(みはな)したりはしません。(かみ)(けっ)して(だれ)にも、「でもあなたは(おし)えて(くだ)さらなかった!」と(なげ)かせたりはしないでしょう。イスラエル()十部族(じゅうぶぞく)全国規模(ぜんこくきぼ)(ばち)()(せま)った(とき)もそうでした。(かみ)は、その破壊(はかい)(まえ)何人(なんにん)もの預言者(よげんしゃ)(つか)わし、(かれ)らの傲慢(ごうまん)さや(かみ)への反乱(はんらん)安息日(あんそくび)無視(むし)やそれにともなう偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)を、声高(こえたか)らかに指摘(してき)警告(けいこく)しました。ユダにバビロニア(ぐん)によるその破壊(はかい)(せま)った(とき)も、(かみ)幾人(いくにん)かの預言者(よげんしゃ)(つか)わし、その(こと)警告(けいこく)しました。エルサレムのティトスによる破壊(はかい)()(せま)った(とき)も、キリストがその時代(じだい)人々(ひとびと)にそれを警告(けいこく)しました。(マタイの 福音書(ふくいんしょ)24(しょう))ですから、今日(きょう)においても、(かみ)全世界(ぜんせかい)(けい)'(こく)()し、証人(しょうにん)(おく)っているのです!

 

(おお)くのいわゆる福音伝道者(ふくいんでんどうしゃ)(たち)は、「(あま)言葉(ことば)(かた)り、(うそ)をつく」(イザヤ(しょ)30(しょう)10(せつ)(こと)人々(ひとびと)()(さけ)(こえ)(こた)えます。我々個人(われわれこじん)または集合的(しゅうごうてき)(つみ)()(あらた)めなければ、我々(われわれ)国々(くにぐに)世界戦争(せかいせんそう)によって残酷(ざんこく)制圧(せいあつ)()けるだろうと、群衆(ぐんしゅう)熱心(ねっしん)(かた)者達(ものたち)がいったい何処(どこ)()られますか?週刊(しゅうかん)のテレビ放送(ほうそう)や、国中(くにじゅう)説教台(せっきょうだい)、または宗教(しゅうきょう)(かん)する書物(しょもつ)のなかですか?

 

キリストは警告(けいこく)しました。「あなた(がた)()(あらた)めなければ、皆同(みなおな)(よう)(ほろ)びるだろう」と。(ルカの 福音書(ふくいんしょ)13(しょう)(せつ)と5(せつ)

 

ティトス(ぐん)のエルサレムへの侵攻(しんこう)で、何百万(なんひゃくまん)ものユダヤ(じん)虐殺(ぎゃくさつ)されました。

 

しかし、その(なか)(おお)くの(もの)がキリストの警告(けいこく)()いていたのです。そればかりか、その後何年(ごなんねん)にもわたる(かみ)忠実(ちゅうじつ)使徒(しと)使者達(ししゃたち)警告(けいこく)をも()いていたのです!(かれ)らは()(あらた)める()わりにキリストを拒絶(きょぜつ)し、(かみ)使者達(ししゃたち)(ころ)し、投獄(とうごく)しました。

 

(ヨセファスによると)非難(ひなん)しなさいという(こえ)神殿(しんでん)()いたと()大司祭(だいしさい)と、それに(つづ)いてペッラへ()げた数人(すうにん)のユダヤ(じん)(のぞ)いて、その人口(じんこう)大半(たいはん)大虐殺(だいぎゃくさつ)経験(けいけん)する(こと)となりました。キリストの深刻(しんこく)警告(けいこく)現実(げんじつ)のものとなったのです!

 

兵士達(へいしたち)教会(きょうかい)(かべ)頂上(ちょうじょう)にある(いし)さえも(うば)()りました。教会(きょうかい)結局破壊(けっきょくはかい)されてしまいました。しかしキリストは、(おお)いなる艱難(かんなん)のすぐ(あと)に、目覚(めざま)しい(てん)(しるし)(あらわ)れるだろうとはっきりと()いました。

 

(おお)いなる艱難(かんなん)(あと)太陽(たいよう)(かげ)り、(つき)(かがや)きを(うしな)い、(ほし)隕石(いんせき))は(てん)から()ち、(てん)(ちから)()(うご)かされるだろう。」

 

「そしてその()(ひと)()(しるし)(てん)(あらわ)れるだろう。その(とき)地上(ちじょう)(すべ)ての部族(ぶぞく)()(ふく)し、(ひと)()(ちから)(おお)いなる栄光(えいこう)(たずさ)(てん)(くも)()って()るのを()るだろう。」(マタイの福音書(ふくいんしょ) 24(しょう)27-30(せつ)

 

ゆえに、マタイの福音書(ふくいんしょ)24(しょう)、マルコの福音書(ふくいんしょ)13(しょう)そしてルカの福音書(ふくいんしょ)21(しょう)預言(よげん)には2面性(めんせい)があるといえます。(ひと)つは典型(てんけい)として(はや)段階(だんかい)実現(じつげん)するものであり、もう(ひと)つは、文字通(もじどお)り、最終的(さいしゅうてき)にの実現(じつげん)するものです。その住民(じゅうみん)()(あらた)めない(かぎ)り、エルサレムは(ふたた)破壊(はかい)される運命(うんめい)にあるのです。

 

ティトス(ぐん)によりエルサレムが破壊(はかい)された(とき)(てん)(しるし)はありませんでした。キリストが全能(ぜんのう)(かみ)(ちから)行使(こうし)した り、(てん)()るがしたり、太陽(たいよう)(はい)(よう)(かげ)らす(こと)はありませんでした。

 

ですから、もう(ひと)(べつ)のエルサレムの破壊(はかい)がまだやって()るのです!荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)出現(しゅつげん)はその兆候(ちょうこう)()るのです。では一体誰(いったいだれ)がこの()まわしき(もの)()()すのでしょうか?

 

ダニエル(しょ)の「(ちい)さな(つの)

 

パビロン、ペルシァ、グラエコ/マケドニアそしてローマの、代々世界(だいだいせかい)支配(しはい)してきた4大国(たいこく)はダニエル(しょ)の2(しょう)と7(しょう)(しる)されています。これらの王国(おうこく)(なか)最後(さいご)まで(のこ)った(くに)、ローマについて、ダニエルはこう結論付(けつろんづ)けています。「しかし、いと(たか)(もの)聖者(せいじゃ)らが王権(おうけん)をうけ、王国(おうこく)永久(とこしえ) (おさ)めるであろう。」(ダニエル(しょ)(しょう)18(せつ)

 

そしてダニエルはこう(つづ)けました。「その時私(ときわたし)は、第四(だいよん)(けもの)(ローマ)の真実(しんじつ)()(こと)となる。それは(ほか) (けもの)(こと)なって、非常(ひじょう)(おそ)ろしく、(てつ)()青銅(せいどう)(つめ)()ち、()らい()くし、かみ(くだ)き、残骸(ざんがい)(あし) ()みにじった。」

 

「その(あたま)には十本(じゅっぽん)(つの)があり、(さら)(べつ)(つの)個別(こべつ)の「(つの)」-政府(せいふ)または指導者(しどうしゃ)()す)が()()たので、十本(じゅっぽん)(つの)のうち三本(さんぼん)()()ちた。」(ダニエル(しょ)(しょう)19-20(せつ)

 

この預言(よげん)は10(ぽん)の「(つの)」もしくは政府(せいふ)が、同時多発的(どうじたはつてき)なものではなく、連続(れんぞく)して(あらわ)れるものである(こと)(しめ)しています。この (ちい)さな(つの)」は()えてきた「(べつ)」の(つの)である(こと)から、それが(ほか)の10(ぽん)(つの)(つら)なるものではない(こと)(あき)らかです。

 

それについての記述(きじゅつ)注目(ちゅうもく)して(くだ)さい。「その(十本(じゅっぽん)の)(つの)考察(こうさつ)していると、もう一本(いっぽん)(ちい)さな(つの)()えてきて、(さき)(つの)のうち三本(さんぼん)はその(ため)()()かれてしまった(おそらくヴァンダルス、オストラゴス、へルリの(こと))。この(ちい)さな(つの)には人間(にんげん)(よう)()があり、また、(くち)もあって尊大(そんだい)(こと)(かた)っていた。」

 

「なお()ていると、王座(ぎょくざ)()えられ、『()()いたる(もの)』がそこに()した。その(ころも)(ゆき)(よう)(しろ)くその御前(みまえ)から()(かわ)(なが)()ていた。幾千人(いくせんにん)がその(ほう)(つか)幾万人(いくまんにん)御前(みまえ)()った。(さば)きの準備(じゅんび)(ととの)い、帳簿(ちょうぼ)(ひら)かれた。」(ダニエル(しょ) (しょう)8-10(せつ)

 

これは(あき)らかにキリストの再来(さいらい)千年統治(せんねんとうち)開始(かいし)、そして最後(さいご)審判(しんぱん)()()(しめ)しています!し かし、この預言(よげん)(ほか)の10(ぽん)とはっきりと(こと)なる「(ちい)さな(つの)」の出現(しゅつげん)(はじ)まっています。その(つの)はダニエ (しょ)(だい)(しょう)で、(ほか)(さき)の3つの(つの)(または政府(せいふ))を(くつがえ)して(または()()いて)います。

 

ファウセットは()べます。「それが()えた(あと)(はん)キリストは()()こす。(はじ)めは『(ちい)さい』が、10(ぽん)(うち)三本(さんぼん) 破壊(はかい)した(あと)(かれ)(ほか)のどの(つの)よりも強大(きょうだい)になる。(20- 21(せつ))3つの角亡(つのな)(あと)、その(つの)は8番目(ばんめ)(つの)になる。(黙示録(もくしろく)17(しょう)11(せつ)参照(さんしょう)(ほか)の7(ほん)よりも際立(きわだ)った(あたま)()っている。(Critical and Experimental Commentary (だい)(かん)422ページ、 emphasis mineより)」

 

さて、「(くち)もあって尊大(そんだい)(こと)(かた)っていた」とはどういう(こと)でしょう?

 

ダニエルは()います。「その(けもの)には十本(じゅっぽん)(つの)があり、(さら)一本(いっぽん)(つの)(『(ちい)さい(つの)』の(こと))が()()たので、十本(じゅっぽん)(つの)のうち(さん)(ぼん)()()ちた。その(つの)には((ひと)の)()があり、また、(くち)もあって尊大(そんだい)(こと)(かた)った。これは、(ほか)(つの) よりも(おお)きく()えた。」

 

()ていると、この(つの)聖者(せいじゃ)らと(たたか)い、そして()ってしまった!」(ダニエル(しょ)(しょう)20-21(せつ)艱難(かんなん)時代(じだい)聖者(せいじゃ)は「携挙(けいきょ)され」地球(ちきゅう)(のこ)されていないという(せつ)や、特別(とくべつ)な「聖者(せいじゃ)」が洞窟(どうくつ)(かく)れているという(せつ)はなんと的外(まとはず)れな(こと)でしょうか。これは文字通(もじどお)り、(はん)キリストの(ちから)によって(ころ)される最後(さいご)二人(ふたり)証人(しょうにん)黙示録(もくしろく)11(しょう)(せつ))と教会(きょうかい)(こと)黙示録(もくしろく)13(しょう)7(せつ))を()している(こと)にお気付(きづ)(くだ)さい。

 

この「(ちい)さな(つの)」は(かみ)(しん)教会(きょうかい)迫害(はくがい)する勢力(せいりょく)(たぐ)いを意味(いみ)しているのです!

 

ダニエル(しょ)(しょう)には、「(ちい)さな(つの)」によって(あやつ)られる4番目(ばんめ)(けもの)(ローマ)の描写(びょうしゃ)(とも)(はじ)まる預言(よげん)(よっ)つあります。その(ちい)さな(つの)(みっ)つの(つら)なる政府(せいふ)(くつがえ)し、終焉(しゅうえん)(とき)まで存続(そんぞく)し、教会(きょうかい)迫害(はくがい)し、最終的(さいしゅうてき)にはキリストの再来時(さいらいじ)、キリスト(みずか)らの()破壊(はかい)されるものです。

 

()()えれば、聖書(せいしょ)は「(ちい)さな(つの)」を、キリストの再来時(さいらいじ)(かみ)(たみ)迫害(はくがい)している勢力(せいりょく)または政府(せいふ)識別(しきべつ)する(こと)で、それが(あらわ)れるタイミングをも(しめ)しているのです。

 

さて、一体(いったい)どんな勢力(せいりょく)または政府(せいふ)がこの迫害(はくがい)(おこな)い、(かみ)従者(じゅうしゃ)殉教(じゅんきょう)責任(せきにん)(だれ)にあるのでしょう?

 

「そして、(かれ)(「(ちい)さな(つの)」)はいと(たか)(かた)(するど)言葉(ことば)(かえ)し、いと(たか)(かた)聖者(せいじゃ)らを(なや)ます。(かれ)時世(じせい)(ほう) ()えようと(たくら)む。(かれ)ら(聖者(せいじゃ))はその()()ち、一時(ひととき)一年(いちねん))、二時(ふたとき)二年(にねん))、半時(はんとき)(ろっ)()(げつ)または半年(はんとし))が()つ。(全部(ぜんぶ)三年半(さんねんはん)です)」

 

「やがて(さば)きの()(ひら)かれ、(かれ)はその権威(けんい)(うば)われ永遠(えいえん)(ほろ)ぼされるだろう。」(ダニエル(しょ)(しょう)25-26(せつ))これは3年半(ねんはん)のひどい迫害(はくがい)殉教(じゅんきょう)期間(きかん)(しめ)しています!そしてそれは、艱難(かんなん)開始(かいし)からキリストの再来(さいらい)までを()終焉(しゅうえん)(とき)(こと)なのです!

 

この「(ちい)さな(つの)」は、時世(じせい)(ほう)()える(ちから)()った地位(ちい)(すわ)る、人間(にんげん)指導者(しどうしゃ)象徴(しょうちょう)しているのです。

 

年半(ねんはん)

 

ダニエルは(せい)なる(もの)がもう一人(ひとり)(もの)にこう()いているのを(みみ)にしました。「日々(ひび)犠牲(ぎせい)荒廃(こうはい)荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの))による破壊(はかい)、そして、聖地(せいち)()(わた)され、()場所(ばしょ)()みにじられるという、この予見(よけん)一体(いったい)どれだけ(つづ)くのだろう?」

 

「そして、(かれ)(わたし)()いました。2300(にち)()て、聖地(せいち)(きよ)められるだろう。」 (ダニエル(しょ)(しょう)13-14(せつ)

 

ですから、荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)(うご)()し、3年半(ねんはん)もの間聖地(あいだせいち)(よご)すのです!

 

ヨハネはこう記述(きじゅつ)しています。「そして、(かれ)らは(けもの)(ちから)(さず)けた(りゅう)(サタン)を(あが)めた。さらに、人々(ひとびと)はこの(けもの)をも(おが)んでこう()った。『(だれ)が、この(けもの)(あらそ)(こと)出来(でき)ようか?』」

 

「そして、(かれ)には偉大(いだい)言葉(ことば)冒涜(ぼうとく)()(くち)(はん)キリスト、つまり(にせ)預言者(よげんしゃ)である『(ちい)さな(つの)』と(おな)(くち))が(あた)えられ、四十二(よんじゅうに)(げつ)(あいだ)活動(かつどう)する(ちから)(あた)えられた。」(黙示録(もくしろく)13(しょう)4-5(せつ)

 

(はん)キリストが()()がり荒廃(こうはい)開始(かいし)した(とき)(かれ)は3年半(ねんはん)もの(あいだ)それを(つづ)けるでしょう。

 

さらに注目(ちゅうもく)して(くだ)さい。「それから、(わたし)(つえ)(よう)物差(ものさ)(ぼう)(あた)えられ、こう()げられた。()て、そして、(かみ)神殿(しんでん)祭壇(さいだん)とを(はか)り、そこで礼拝(れいはい)している者達(ものたち)(かぞ)えよ。」

 

「しかし、神殿(しんでん)(ほか)(にわ)はそのままにしておけ。(はか)ってはいけない。そこは異邦人(いほうじん)(あた)えられたからである。(かれ)らは、四十二(よんじゅうに)(げつ)(あいだ)、この(せい)なる(みやこ)()みにじるであろう。」(黙示録(もくしろく) 11(しょう)1-2(せつ)

 

この3年半(ねんはん)(あいだ)は、統率(とうそつ)された福音(ふくいん)説教(せっきょう)をする(こと)不可能(ふかのう)です。(かみ)教会(きょうかい)()()りにされ、迫害(はくがい)されてしまいます。(アモス(しょ)(しょう)11(せつ)殉教(じゅんきょう)する(もの)()れば奇跡的(きせきてき)(はん)キリストから(まも)られる(もの)もいるでしょう。

 

(かみ)はこう(おっしゃ)っています。「(りゅう)は、自分(じぶん)地上(ちじょう)()()とされたと()かると、(おとこ)()教会(きょうかい))を()んだ(おんな)(あと) ()った。」「そこで、(おんな)には(おお)きな(わし)(つばさ)(ふた)(あた)えられた。((かみ)奇跡(きせき)加護(かご)象徴(しょうちょう)です。(しゅつ)エジプト()19(しょう)(せつ)参照(さんしょう)のこと)()()にある自分(じぶん)居場所(いばしょ) ()んで()(ため)である。(おんな)はそこで、(へび)から(のが)れて、一時(ひととき)二時(ふたとき)、そして、半時(はんとき)三年半(さんねんはん)です!)(やしな)われる。」

 

「そして(へび)は、(くち)から洪水(こうずい)(よう)(みず)(おんな)()って()()し、彼女(かのじょ)()(なが)そうとした。」

 

「しかし、大地(だいち)(おんな)(たす)け、(くち)()けて、(りゅう)(くち)から()()した洪水(こうずい)()()した。」

 

(りゅう)(おんな)(たい)して(はげ)しく(おこ)り、その子孫(しそん)(のこ)りの者達(ものたち)、すなわち、(かみ)(おきて)(まも)り、キリストの (あかし)()()者達(ものたち)(たたか)おうと()()った。」(黙示録(もくしろく)I、12(しょう)13-17(せつ)

 

ある(もの)は、この「洪水(こうずい)」を歴史的観点(れきしてきかんてん)から解釈(かいしゃく)しました。それは「(ちい)さな(つの)」が神聖(しんせい)ローマ帝国(ていこく)支配(しはい)する期間(きかん)(こと)であり、(けもの)(またが)(おんな)(くち)から()()された、(うそ)(かた)めた教義(きょうぎ)冤罪(えんざい)、そしてプロパガンダの「洪水(こうずい)」でもあるのです。

 

ある(もの)はこれを文字通(もじどお)りに解釈(かいしゃく)しました。それは、サタンによって()()こされる奇跡(きせき)であり、紅海(こうかい)(れい)(よう)に、(かみ)(たみ)はそこから(すく)()されると。それが(なに)意味(いみ)するにしろ、サタンは(かみ)教会(きょうかい)破壊(はかい)失敗(しっぱい)するのです。

 

それでも(かみ)言葉(ことば)は、(はん)キリストである「(つみ)なる(もの)」に(ひき)いられた(おお)いなる(にせ)教会(きょうかい)が、(かみ)聖者達(せいじゃたち)(ひど)迫害(はくがい)するだろうと()っています。(おお)いなる艱難(かんなん)には、(おお)くの(かみ)(しもべ)殉教(じゅんきょう)する(こと)(ふく)まれているのです。(マタイの 福音書(ふくいんしょ)24(しょう)(せつ)黙示録(もくしろく)13(しょう)(せつ)

 

(すべ)ての(かみ)(たみ)(まも)られるわけではありません。二人(ふたり)証人(しょうにん)()(れい)です。(かれ)らは特別(とくべつ)に、(けもの)(にせ)預言者(よげんしゃ)(かん)する警告(けいこく)(ため)(かみ)最後(さいご)二人(ふたり)預言者(よげんしゃ)として任命(にんめい)され、(はん)キリストと(けもの)によって(ころ)されます。

 

二人(ふたり)証人(しょうにん)は、荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)君臨(くんりん)する、「聖域(せいいき)蹂躙(じゅうりん)」と(とき)(おな)じくしてその使命(しめい)()たします。

 

(わたし)は、自分(じぶん)二人(ふたり)証人(しょうにん)粗布(そふ)(まと)わせ、千二百六十日(せんにひゃくろくじゅうにち)(あいだ)預言(よげん)させよう(かれ)()には、預言(よげん)をしている(あいだ)ずっと(あめ)()らないように(てん)()じる(ちから)がある。また、(みず)()()える(ちから)があって、(のぞ)みのままに何度(なんど)でも、あらゆる(わざわ)いを()にもたらす(こと)出来(でき)る。」

 

「そして、二人(ふたり)証言(しょうげん)()えると、(そこ)なしの(あな)から()()がった(けもの)が、(かれ)らに(たたか)いを(いど)み、()()ち、(ころ)してしまうだろう。」(黙示録(もくしろく)11(しょう)3-7)

 

ある(もの)は、教会全(きょうかいすべ)てが3年半(ねんはん)(あいだ)安全(あんぜん)場所(ばしょ)(うつ)される」と(おも)い込んでいます。それは(あき)らかにありえません。二人(ふたり)証人(しょうにん)(かみ)(しん)教会(きょうかい)(ぞく)してはいないのですか?(かれ)らは「(かみ)聖霊(せいれい)」によって(みちび)かれるが(ゆえ)に、霊的(れいてき)な「キリストの(からだ)」である教会(きょうかい)のメンバーであるはずではないのですか?

 

それでも、(かみ)二人(ふたり)殉教(じゅんきょう)(ゆる)します。

 

イスラエル(じん)がゴシェンの土地(とち)にいる(あいだ)、エジプト(じん)とイスラエル(じん)を「()(へだ)て」る(ため)に、(かみ)がエジプトに疫病(えきびょう)をもたらした(とき)もそうでした。()天使(てんし)がイスラエル(じん)民家(みんか)を「(とお)()し」エジプトの初子(しょし)(ころ)して()きました。(かみ)はその時約束(ときやくそく)しました。「あなたの(かたわ)らに一千(いっせん)(ひと)、あなたの(みぎ)一万(いちまん) (ひと)(たお)れるだろう。だが、あなたにそれが(およ)(こと)()い。」(詩篇(しへん)91(しょう)1-9(せつ)

 

(とら)われのイスラエル(じん)は、(かれ)らの(おそ)ろしい艱難(かんなん)最中(さいちゅう)(かみ)()(さけ)(かたち)()かれています。「さあ、我々(われわれ)(しゅ)のもとに(かえ)ろう。(しゅ)我々(われわれ)()()(こと)で、我々(われわれ)(いや)し、()ちのめす(こと)で、我々(われわれ)団結(だんけつ)(みちび)くのだから。」

 

(ふつ)()二年(にねん)民数紀(みんすうき)14(しょう)34(せつ)とエゼキエル(しょ)(しょう)(せつ)参照(さんしょう)のこと)の(あと)(しゅ)我々(われわれ)復活(ふっかつ)させ、三日目(みっかめ)三年目(さんねんめ)?)に、()()がらせて(くだ)さり、我々(われわれ)(しゅ)見守(みまも)中生(なかい)きるであろう。」(ホセア(しょ)(しょう)1-2)

 

この預言(よげん)はイスラエルの十部族(じゅうぶぞく)への(きび)しい警告(けいこく)(なか)()られます。(とく)に、(おお)くのヒントからイギリスと()かる、エフライムの(くに)(たい)して。

 

(かみ)はこう()いました。「懲戒(ちょうかい)()艱難(かんなん))エフライムは廃虚(はいきょ)()す。(たし)かに()こる(こと)(わたし)はイスラエルの諸部族(しょぶぞく)(おし)えた(わたし)()()り、自分(じぶん)場所(ばしょ)(もど)っていよう。(かれ)らが(つみ)(みと) て、(わたし)(たず)ねるまで。(かれ)らは苦痛(くつう)中早々(なかそうそう)(わたし)(さが)しに()るだろう。」(ホセア(しょ)(しょう)9-15(せつ)

 

この(おお)いなる艱難(かんなん)(てん)(しるし)と(黙示録(もくしろく)6-7(しょう)(しゅ)()は、どれもがこの三年半(さんねんはん)(うち)()こるのです!荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)(うご)(はじ)めてから「完結(かんけつ)まで」または3年半後(ねんはんご)まで(つづ)くという(こと)(おぼ)えておいて(くだ)さい。二人(ふたり)証人(しょうにん)は3年半(ねんはん)(わた)って預言(よげん)し、キリストの再来(さいらい)のほんの数日前(すうじつまえ)(ころ)されるのです!聖域(せいいき)は3年半(ねんはん)もの(あいだ)()みにじられる」が、キリストの再来(さいらい)により「浄化(じょうか)される」のです!

 

これで()くお()かり(いただ)けましたでしょうか。荒廃(こうはい)をもたらす()まわしき(もの)がいつ(あらわ)れるのかに注意(ちゅうい)(くば)(こと)大切(たいせつ)さが。なぜキリストは、それが()(とき)にはユダヤ(じん)()げるように警告(けいこく)したのかが。(はん)キリストは何者(なにもの)かって?暴言(ぼうげん)()(ひと)(くち)()った、最後(さいご)の「(ちい)さな(つの)」とは(だれ)(こと)かって?

 

それはある教会(きょうかい)指導者(しどうしゃ)である「(にせ)預言者(よげんしゃ)」の(こと)です!

 

(おお)いなる(いつわ)りの教会(きょうかい)のシンボルである(けもの)(またが)女性(じょせい)

 

ここでヨハネの預言(よげん)()(くだ)さい。「そして、この天使(てんし)(わたし)霊体(れいたい)という(かたち)()()()れて()った。(わたし)は、真紅(しんく)(けもの)にまたがっている一人(ひとり)(おんな)()た。この(けもの)は、全身至(ぜんしんいた)るところ(かみ)冒涜(ぼうとく)する数々(かずかず)()(おお)われており・・・」(黙示録(もくしろく)17(しょう)(せつ)

 

(おんな)教会(きょうかい)象徴(しょうちょう)として使(つか)われています。この場合(ばあい)背教(はいきょう)教会(きょうかい)、すなわち、(かみ)冒涜(ぼうとく)する()(おお)()くされた、(みだ)らな(おんな)として()かれた、サタンの支配下(しはいか)にある教会(きょうかい)(こと)です!「(なな)つの (あたま)十本(じゅっぽん)(つの)()っていた。(おんな)(むらさき)(あか)(ころも)()て、(きん)宝石(ほうせき)真珠(しんじゅ)()(かざ)り、憎悪(ぞうお)やその(みだ)らな()(よご)れで()ちた(きん)(さかずき)()()っていた。」(黙示録(もくしろく)17(しょう)3-4(せつ)

 

この、サタンに支配(しはい)された(おお)いなる(いつわ)りの教会(きょうかい)は、世界中(せかいじゅう)(おう)大統領(だいとうりょう)首相(しゅしょう)(つな)がりを()っています。それは、(みずか)らの政策(せいさく)(ほか)(おお)くの(くに)文化(ぶんか)()()ける、政治的(せいじてき)教会(きょうかい)なのです。(かみ)はこういった(おこな)いを政治的淫行(せいじてきいんこう)()んでいます!

 

(さら)に、「その(ひたい)には、()められた意味(いみ)()(しる)されており、それは、『(おお)いなるバビロン、淫婦達(いんぷたち)や、地上(ちじょう)()まわしい者達(ものたち)(はは)』というものであった。」とあります。(黙示録(もくしろく)17(しょう)(せつ)

 

これは偉大(いだい)(はは)なる教会(きょうかい)ですが、そこから()でた娘達(むすめたち)彼女(かのじょ)異議(いぎ)(とな)えます!彼女(かのじょ)娼婦(しょうふ)(よう)(ふく)()て、(かみ)冒涜(ぼうとく)する()肩書(かたが)きを使(つか)い、(なぞ)(つつ)まれた教義(きょうぎ)(おし)えます。

 

彼女(かのじょ)の「(なぞ)めいた宗教(しゅうきょう)」は、古代(こだい)バビロンのものと同一(どういつ)で、それは、バビロンの(なぞ)めいた宗教(しゅうきょう)統一(とういつ)された都市(とし)政府(せいふ)(きず)()げた、セミラミスとニムロッドの(とき)まで(さかのぼ)ります。

 

彼女(かのじょ)(おも)なシンボルは太陽(たいよう)で、「イシュタール」(セミラミス女王(じょおう)意味(いみ)する)に(ささ)げられた(ひがし)(のぼ)太陽(たいよう)にお辞儀(じぎ)をしています。「イシュタール」は今日(きょう)では「イースター」と発音(はつおん)されており、(かみ)安息日(あんそくび)ではなく日曜日(にちようび)崇拝(すうはい)されています。オーブや球根(きゅうこん)(よう)生殖(せいしょく)<