クリスマス...

(あき)らかにされていない(はなし)

 

聖書(せいしょ)にクリスマスに(かん)する記述(きじゅつ)がないのはなぜでしょう?「サンタクロース」はキリストとどのような関係(かんけい)があるのでしょうか?ヤドリギやヒイラギのリース、クリスマスツリーの(うえ)宝珠(ほうじゅ)本当(ほんとう)意味(いみ)(なん)でしょう?イエスは本当(ほんとう)12(がつ)25(にち)にお()まれになったのでしょうか?その起源(きげん)(かか)わらず、クリスマスは(いち)(ねん)(もっと)重要(じゅうよう)商売(しょうばい)()()(どき)です。何世紀(なんせいき)にもわたるプレゼント交換(こうかん)という伝統(でんとう)がなくなれば、(くに)経済(けいざい)(おお)きな打撃(だげき)(こうむ)数千(すうせん)という会社(かいしゃ)倒産(とうさん)するでしょう。

このキリスト教最大(きょうさいだい)祝日(しゅくじつ)(かん)する真実(しんじつ)()れば、(みな)さんは(おどろ)かれるでしょう。

 

ガーナー・テッド・アームストロン 著者(ちょしゃ)

 

(おも)百科事典(ひゃっかじてん)歴史書(れきししょ)でクリスマスの装飾(そうしょく)象徴(しょうちょう)言葉(ことば)調(しら)べてみれば、(だれ)でもすぐに多神教(たしんきょう)にクリスマスの起源(きげん)があるという真実(しんじつ)がわかります。インターネットの発達(はったつ)によって、パソコンを()っている人達(ひとたち)にとってインターネットへのアクセスはより簡単(かんたん)になりました。しかし、まだ実際(じっさい)にクリスマスに(かん)して調(しら)べてみた(ひと)(ほとん)どいません。(みな)さんは如何(いかが)ですか?私達(わたしたち)がのん()当然(とうぜん)だと(おも)っている(いく)つかの習慣(しゅうかん)(かん)して疑問(ぎもん)(おも)われた(こと)はありますか?「クリスマスのミサ」や「クリスマス」の象徴(しょうちょう)(かん)する真実(しんじつ)()りたいと(おも)われた(こと)はありますか?

 

時々(ときどき),(わたし)は「クリスマスにキリストを(もど)そう」とか,同様(どうよう)趣旨(しゅし)言葉(ことば)をタイトルにした記事(きじ)()かけます。しかし,最初(さいしょ)からクリスマスにキリストはおられなかったのですから、「キリストをクリスマスに(もど)す」ことなど不可能(ふかのう)です!キリストの使徒達(しとたち)誰一人(だれひとり)としてクリスマスという言葉(ことば)()いた(こと)も、キリストの誕生日(たんじょうび)(いわ)った(こと)もありません。クリスマス、ヒイラギのリース、ヤドリギ、赤鼻(あかはな)のトナカイ、サンタクロース、クリスマスツリー(など)言葉(ことば)は、聖書(せいしょ)のどこにも登場(とうじょう)しません。

 

初期(しょき)(まこと)教会(きょうかい)ではクリスマスという言葉(ことば)など()かれませんでした。巨大(きょだい)背教者(はいきょうしゃ)()教会(きょうかい)が、完全(かんぜん)多神教(たしんきょう)習慣(しゅうかん)信仰(しんこう)徐々(じょじょ)()()(はじ)め、「公現祭(こうげんさい)」(キリストの洗礼(せんれい)関係(かんけい)する祭日(さいじつ)で、(かれ)らはこの時期(じき)1月初旬(がつしょじゅん)だったと誤解(ごかい)しました)と()時代(じだい)まで()()()()()()()数世紀(すうせいき)かかりました。(のち)に、一部(いちぶ)作家(さっか)(たち)多神教(たしんきょう)冬至(とうじ)(まつ)りと公現祭(こうげんさい)同時(どうじ)(いわ)うことを主張(しゅちょう)(はじ)めました。非常(ひじょう)(おお)くの多神教徒達(たしんきょうとたち)(すで)冬至(とうじ)(とき)に「(よろこ)びにあふれた」、しばしば「()(さわ)ぐ」お(まつ)りに()(した)しんでいたという単純(たんじゅん)理由(りゆう)で、これらを同時(どうじ)(いわ)うことが(おこな)われ(はじ)めました。

 

毎年(まいとし)、クリスマスの時期(じき)になると、この(いわ)いの(しん)起源(きげん)がキリスト(きょう)ではなく完全(かんぜん)多神教(たしんきょう)にあることを(すす)んで(みと)める記事(きじ)何千(なんぜん)もの出版物(しゅっぱんぶつ)掲載(けいさい)されます。このような記事(きじ)では、キリストは12(がつ)25(にち)より(すう)()(げつ)(はや)くお()まれになったことや、クリスマスツリー、「サンタクロース」、ヤドリギ()、ヒイラギのリス、ユール・ログ(クリスマスの大薪(おおまき))、プレゼント交換(こうかん)多神教(たしんきょう)起源(きげん)()つことを(みと)めています。

 

しかし.その(ほとん)どが「キリスト(きょう)の」(いわ)いが多神教(たしんきょう)(いわ)いに「()って()わった」のだからキリスト教徒(きょうと)にとって(まった)許容(きょよう)できる習慣(しゅうかん)であるという説明(せつめい)をしています。それは本当(ほんとう)でしょうか?(かみ)(たい)して問題(もんだい)ではないのでしょうか?なぜ,キリストの使徒達(しとたち)過越(すぎこし)固執(こしつ)する()わりにクリスマスを(いわ)わなかったのでしょう?なぜ初期(しょき)教会(きょうかい)何世紀(なんせいき)もの(なが)(あいだ)クリスマスを(いわ)わなかったのでしょう?なぜ植民地時代(しょくみんちじだい)初期(しょき)のアメリカではクリスマスを(いわ)うことが(きん)じられていたのでしょう?

 

(みな)さんは、私達(わたしたち)(おこな)っていることをなぜ(おこな)うのか()疑問(ぎもん)(おも)われた(こと)はありますか?なぜ、(わたし)(たち)はハロウィーンやクリスマス、大晦日(おおみそか)聖燭節(せいしょくせつ)、エイプリールフール(など)当然(とうぜん)だと(おも)うのでしょうか?こうした習慣(しゅうかん)起源(きげん)調(しら)べたり、起源(きげん)がキリスト(きょう)多神教(たしんきょう)かどうか(かんが)えてみた(こと)のある(ひと)はどれ(ぐらい)いるのでしょう?

 

(みな)さんや(わたし)は「既成(きせい)」の世界(せかい)()まれました。私達(わたしたち)(この)みに()わせて世界(せかい)()える役割(やくわり)はなく、(私達(わたしたち)(ほとん)どが)子供(こども)(ころ)から(おし)えられた祝日(しゅくじつ)習慣(しゅうかん)()ちた世界(せかい)(すで)存在(そんざい)していました。子供(こども)(ころ)、サンタクロースなどいないとわかった(とき)(みな)さんはどういう反応(はんのう)されましたか?それとも両親(りょうしん)がウソをついているとは(おも)いもせずに「サンタ」の(はなし)固執(こしつ)したのでしょうか?何年(なんねん)(まえ)に、(わたし)サンタクロースがいないとわかった少年(しょうねん)が「それなら、イエス・キリストの(こと)調(しら)べてみた(ほう)がいいのかもしれない」と()うのを()きました。

 

(わたし)二十代(にじゅうだい)になり結婚(けっこん)するまで,クリスマスに(かん)する情報(じょうほう)調(しら)べてみたことはありませんでした。調(しら)べてみたのは,クリスマスを(いわ)っても()いかどうかをはっきりさせるためではなく,(ちち)がクリスマスは多神教(たしんきょう)のものであると(つよ)反対(はんたい)する説教(せっきょう)をしていたことが(ただ)しかったのかどうかを見極(みきわ)めるためでした。このせいで,クリスマス・キャロルを(うた)って(まわ)ったり,クリスマスツリーの(かざ)りつけの時期(じき)になると,(わたし)近所(きんじょ)学校(がっこう)で「仲間(なかま)はずれ」になっていました。(わたし)(まわ)りで(おこな)われている(こと)一緒(いっしょ)にやってみたいとどれほど(おも)ったことでしょう。クリスマスはとても(たの)しい(こと)だと(おも)えたのです。

 

子供心(こどもごころ)に、(わたし)には近所(きんじょ)学校(がっこう)友人(ゆうじん)仲間達(なかまたち)がとてもうらやましく(おも)えました。(かれ)らは(みな)(たの)しい「クリスマス気分(きぶん)」に(ひた)っていました。(わたし)両親(りょうしん)はクリスマスを(いわ)いませんでした。(わたし)は、クリスマスツリーを(かざ)ったり、家族(かぞく)でプレゼント交換(こうかん)をしたりクリスマス・キャロルを(うた)った記憶(きおく)がありません牧師(ぼくし)であった(ちち)は、一貫(いっかん)してクリスマス関連(かんれん)のあらゆる(もの)は「完全(かんぜん)多神教(たしんきょう)」のものであるという歴史(れきし)(てき)かつ聖書(せいしょ)証拠(しょうこ)()つけたと主張(しゅちょう)していました。

 

ですから家族(かぞく)(かんが)(かた)の立場からは、(わたし)はクリスマスを嫌悪(けんお)していました。

 

しかし、学校(がっこう)近所(きんじょ)友人(ゆうじん)(あいだ)ではクリスマスが大好(だいす)きでした。素敵(すてき)なものが一杯(いっぱい)()まった靴下(くつした)()つけたり、クリスマスツリーの(まわ)りで子供達(こどもたち)がカラフルな(はこ)(たの)しそうに()けたり、もらったばかりの(あたら)しい自転車(じてんしゃ)やおもちゃの(あか)自動車(じどうしゃ)(あそ)んだりする様子(ようす)真似(まね)て、一緒(いっしょ)に「ユールタイド(クリスマスの季節(きせつ))」を(いわ)いたかったのです。

 

(わたし)(はは)は、ある程度(ていど)クリスマスを(いわ)うことを(ゆる)してくれました。小学校(しょうがっこう)のクラスでは、(はこ)生徒(せいと)がそれぞれお(たが)いの名前(なまえ)()いて、相手(あいて)子供(こども)へのプレゼントを()うのです。しかし大恐慌(だいきょうこう)時代(じだい)だったこともあり、人々(ひとびと)(ゆた)かではありませんでした。(おく)(もの)10セントも使(つか)えば十分(じゅうぶん)でした。(わたし)名前(なまえ)()いた(おんな)()へのプレゼントのために、(はは)(わたし)雑貨店(ざっかてん)()れて()ってくれて5セントの(ちい)さな香水瓶(こうすいびん)()って(つつ)むのを手伝(てつだ)ってくれました。しかし、(わたし)(つくえ)(うえ)にはどんなプレゼントがあるだろうかと、わくわくして期待(きたい)胸膨(むねふく)らませたクラスの「クリスマスパーティ」で、(ちい)さなハンカチが()かれていただけだったことに、(わたし)大変(たいへん)落胆(らくたん)しました。

 

(わたし)両親(りょうしん)(かく)れて,ガレージで「クリスマスごっこ」をしていました。しかし,まだ(いく)つかの金属(きんぞく)(かざ)りが(のこ)ったまま(だれ)かが()てた(ちい)さなツリーをこっそり近所(きんじょ)から()って()るのですから,クリスマスが()わった(あと)しかこの(あそ)びはできませんでした。()てられたきれいな包装紙(ほうそうし)をごみ(ばこ)から()つけて,()きつけに使(つか)うような(ちい)さな木片(もくへん)(つつ)んで,不憫(ふびん)なツリーの(した)にプレゼントのように(かざ)るのです。

 

(わたし)のクリスマスごっこは,クラスでのプレゼント交換(こうかん)よりも(さら)(みじ)めな気持(きも)ちになりました。それは,時期(じき)がはずれている(こと)もありましたが,()つかるのではないかという(おそ)れもあったからでした。

 

(わたし)はクリスマスについて(うそ)をつくことを(まな)びました。子供達(こどもたち)(あたら)しい自転車(じてんしゃ)やローラースケートに()ったり、(あたら)しい(あか)自動車(じどうしゃ)をお(たが)いに()()()って(あそ)んでいる(とき)、「テディはクリスマスに(なに)をもらったの?」と()かれると、靴下(くつした)下着(したぎ)をもらったんだ、と(こた)えることにしていました。そうすれば、(だれ)もそれが本当(ほんとう)かどうか調(しら)べようがないからです。

 

(わたし)がこのことを(みな)さんにお(はな)しているのは、(みな)さんがこの(ほん)(のこ)りを()まれる(まえ)に、(わたし)自分(じぶん)周囲(しゅうい)環境(かんきょう)(したが)いたかった(せつ)(ねが)っていたということを理解(りかい)していただきたいからです。(わたし)は、両親(りょうしん)が「クリスマスを(いわ)う」ことをしなかったという事実(じじつ)にとても(いきどお)っていました。(のち)に、大人(おとな)になってから、聖書(せいしょ)によってクリスマスを正当化(せいとうか)したいと(わたし)切望(せつぼう)しました。(たん)正当化(せいとうか)するだけではなく、クリスマスを(いわ)うべきだ!ということを証明(しょうめい)したいと(おも)ったのです。(わたし)がキリストが本当(ほんとう)12(がつ)25(にち)()まれになったと証明(しょうめい)して、クリスマスの()(もの)リストを(つく)ったり、「クリスマス気分(きぶん)」に(ひた)ることで、ご自身(じしん)誕生(たんじょう)(わたし)(いわ)うことをキリストが(のぞ)まれるのだと証明(しょうめい)できれば、(わたし)近所中(きんじょじゅう)一番美(いちばんうつく)しいツリーを(かざ)り、(にわ)生垣(いけがき)屋根(やね)をライトアップしてサンタクロースからの(おく)(もの)だと()って孫達(まごたち)靴下(くつした)素敵(すてき)(もの)一杯詰(いっぱいつ)めたでしょう。

 

(わたし)歴史書(れきししょ)百科事典(ひゃっかじてん)聖書(せいしょ)調(しら)べました。

 

しかし,(かな)しいかな,(わたし)自分(じぶん)発見(はっけん)したことに(おどろ)きました。(みな)さんもきっと(おどろ)かれるでしょう!

 

祝日(しゅくじつ)起源(きげん)

 

12(がつ)25(にち)はキリストの誕生日(たんじょうび)ではありませんでした。米国(べいこく)国家(こっか)となって2世紀余(せいきあま)りですが,その(やく)2(ばい)期間(きかん)である4世紀(せいき)になって(はじ)()めて,背教者(はいきょうしゃ)教会(きょうかい)多神教(たしんきょう)儀式(ぎしき)象徴(しょうちょう)をキリスト(きょう)()()れました。()()(たお)して屋内(おくない)宝珠(ほうじゅ)やガラス(たま)(かざ)りつけるという習慣(しゅうかん)がこうして(はじ)まりました。

 

ブリタニカ百科(ひゃっか)事典(じてん)()では(つぎ)のように記載(きさい)しています。「・・・5世紀以前(せいきいぜん)、それ[公現祭(こうげんさい)](こよみ)(うえ)1(がつ)6(むい)()3(がつ)25(にち)12(がつ)25(にち)のいつであるべきかに(かん)する一致(いっち)した意見(いけん)はなかった」 (同書(どうしょ) (だい)4(かん)293ページ)

 

いわゆる「教父(きょうふ)(学者(がくしゃ)に「ニカイア公会議以前(こうかいぎいぜん)教父達(きょうふたち)」として()られ、キリスト(きょう)著述家(ちょじゅつか)325(ねん)のニカイア公会議以前(こうかいぎいぜん)生存(せいぞん)していたと(かんが)えている教父(きょうふ))一人(ひとり)、オリゲネスは、「キリストの誕生日(たんじょうび)をキリストが専制君主(せんせいくんしゅ)であるかのように(まも)る」という(かんが)(かた)否定(ひてい)しました。12(がつ)25(にち)をキリストの誕生(たんじょう)(むす)びつけるという(かんが)えが古代(こだい)ローマ(じん)歴史記録家(れきしきろくか)によって最初(さいしょ)記述(きじゅつ)されたのは、キリストが(まこと)教会(きょうかい)()てられるために精霊(せいれい)(つか)わされてから320年以上経(ねんいじょうた)った354年頃(ねんごろ)だったということがはっきりしています。英語(えいご)翻訳(ほんやく)された文章(ぶんしょう)(つぎ)のようになります。「紀元(きげん)1(ねん)、シーザーとパウルスのローマ執政政府(しっせいせいふ)では、(しゅ)イエス・キリストは12(がつ)25(にち)金曜日(きんようび)新月(しんげつ)15日目(にちめ)誕生(たんじょう)されたとした。」しかし、354(ねん)よりはるか以前(いぜん)(べつ)のいわゆる「ニカイア公会議以前(こうかいぎいぜん)教父(きょうふ)」アレクサンドリアのクレメンスは、このような推測(すいそく)(たん)なる迷信(めいしん)にすぎないと非難(ひなん)しました。クレメンスはこのような著述(ちょじゅつ)(きび)しく非難(ひなん)する通告(つうこく)で、キリストが5(がつ)20(はつ)()()誕生(たんじょう)されたと断言(だんげん)する歴史記録家(れきしきろくか)がいる一方(いっぽう)4(がつ)19(にち)20(はつ)日説(かせつ)(とな)える(もの)もおり、クレメンス自身(じしん)紀元前(きげんぜん)3世紀(せいき)11(がつ)17(にち)だっただろうと主張(しゅちょう)していることを付記(ふき)しました。少なくとも、クレメンスが否定(ひてい)した者達(ものたち)よりは若干事実(じゃっかんじじつ)(ちか)推測(すいそく)でした。

 

(おな)古代(こだい)ローマ(じん)(ローマカトリック教会(きょうかい))歴史記録家(れきしきろくか)(ほか)者達(ものたち)(とも)に、ミトラ教司祭(きょうしさい)(迷信信棒(めいしんしんぼう)によって崇敬(すうけい)させる多神教(たしんきょう))が、太陽生誕祭(たいようせいたんさい)、あるいは「無敵(むてき)(征服(せいふく)できない)太陽(たいよう)生誕(せいたん)」を(いわ)()としていた12(がつ)25(にち)(おな)()をキリスト生誕日(せいたんび)とすべきだと主張(しゅちょう)(はじ)めました。

 

しかし、シリアやアルメリアのキリスト教徒(きょうと)太陽崇拝(たいようすうはい)露骨(ろこつ)偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)(おこな)うローマ(じん)を、12(がつ)25(にち)はケリントスの弟子(でし)がイエスの「実際(じっさい)の」誕生(たんじょう)記念(きねん)するために創案(そうあん)したのだろうと軽蔑的(けいべつてき)非難(ひなん)しました。グノーシス主義(しゅぎ)とユダヤ(きょう)融合(ゆうごう)奨励(しょうれい)したケリントスの晩年(ばんねん)は、使途(しと)ヨハネと同時代(どうじだい)だったと(おも)われます。ケリントスは、イエス・キリストはヨセフとマリアの「(じつ)()の」息子(むすこ)であり、洗礼時(せんれいじ)に「キリスト」がその息子(むすこ)()りてきて、()(まえ)(ふたた)()った、という奇妙(きみょう)(せつ)(とな)えていました。ケリントスは、復活(ふっかつ)未来(みらい)のことでありイエスはまだ()くなったままだとも(おし)えていました。このため、(かれ)のキリスト誕生(たんじょう)(かん)する仮定(かてい)は、(せい)イエレナイオス、(せい)ポリュカルポス、エウセビウス()の「ニカイア公会議以前(こうかいぎいぜん)教父達(きょうふたち)」に否定(ひてい)されました。

 

ブリタニカ百科事典第(ひゃっかじてんだい)11(ばん)では(つぎ)のように記載(きさい)しています。「英国(えいこく)では、キリスト(きょう)への改宗(かいしゅう)のずっと以前(いぜん)から12(がつ)25(にち)祭日(さいじつ)であり(つまり、多神教(たしんきょう)祭日(さいじつ)だった)、(せい)ベーダによると、異教徒達(いきょうとたち)はその祭日(さいじつ)を「(はは)(よる)」と()んでいた」このことは(あと)でわかるように、(きわ)めて重要(じゅうよう)でしょう。英国(えいこく)清教徒(せいきょうと)は、1644(ねん)になってようやく法令(ほうれい)12(がつ)25(にち)の「クリスマス」は「異教徒(いきょうと)祭日(さいじつ)」であると宣言(せんげん)し、これを軽視(けいし)し、この()断食(だんじき)するよう(めい)じました。ニューイングランドの(かれ)らの子孫(しそん)は、12(がつ)25(にち)多神教(たしんきょう)(いわ)いを、(わたし)(ちち)、ハーバート・W.アームストロングが()まれた1892(ねん)のわずか22年前(ねんまえ)まで禁止(きんし)していたのです!

 

実際(じっさい)に「キリスト(きょう)()(いわ)いを(まった)くの多神教(たしんきょう)異教(いきょう)(いわ)いに(かさ)()わせるという慣行(かんこう)(つづ)いて、背教者(はいきょうしゃ)教会(きょうかい)は、農神祭(のうじんさい)()あるいは「無敵(むてき)太陽(たいよう)生誕日(せいたんび)」としてその()祝宴(しゅくえん)(おこな)っていた何十万(なんじゅうまん)ものチュートン(じん)などをキリスト(きょう)帰依(きえ)させ(やす)くするために、ついに12(がつ)25(にち)をイエス・キリストの誕生日(たんじょうび)としました。

 

百科事典(ひゃっかじてん)()歴史書(れきししょ)には、クリスマスの多神教(たしんきょう)起源(きげん)(かん)する情報(じょうほう)満載(まんさい)されています。聖書百科事典(せいしょひゃっかじてん)()ですらその事実(じじつ)(みと)めています。その顕著(けんちょ)(れい)として、(しん)シャフーヘルツオーグ宗教知識百科事典(しゅうきょうちしきひゃっかじてん)New Schaff-Herzog Encyclopedia of Religious Knowledgeでは(つぎ)のように(みと)めています。「農神祭(のうじんさい)()12(がつ)17(にち)24())に(つづ)多神教(たしんきょう)冬至祭(とうじさい)12(がつ)25(にち))に、どれほどその祭日(さいじつ)左右(さゆう)され、一(ねん)(もっと)(ひる)(みじか)()と「(あら)たな太陽(たいよう)」を(いわ)うのか・・・、正確(せいかく)には断定(だんてい)できない。多神教(たしんきょう)農神祭(のうじんさい)()冬至祭(とうじさい)はキリスト(きょう)影響力(えいきょうりょく)によって破棄(はき)させるにはあまりにも一般的(いっぱんてき)習慣(しゅうかん)とし定着(ていちゃく)しすぎていた・・・大騒(おおさわ)ぎの()多神教(たしんきょう)(まつ)りが非常(ひじょう)(この)まれていたので、キリスト教徒(きょうと)その(いわ)いの精神性(せいしんせい)ややり(かた)をほぼ()えずに継続(けいぞく)することを(よろこ)んで許容(きょよう)した西洋(せいよう)東洋近辺(とうようきんぺん)のキリスト(きょう)牧師(ぼくし)はキリストの誕生日(たんじょうび)(いわ)うという不適切(ふてきせつ)軽挙(けいきょ)(てい)(こう)し、メソポタミアのキリスト教徒(きょうと)は、西洋(せいよう)同胞(どうほう)がこの多神教(たしんきょう)(まつ)りを()()れて偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)太陽崇拝(たいようすうはい)(おこな)っていることを非難(ひなん)した」(同書(どうしょ)「クリスマス」の(こう)より)

 

こうした多神教(たしんきょう)太陽崇拝(たいようすうはい)習慣(しゅうかん)古代(こだい)(すた)れた習慣(しゅうかん)()ぎないと(おも)わないで(くだ)さい。(しん)じがたいかもしれませんが、現在(げんざい)米国(べいこく)()の「キリスト(きょう)」の国々(くにぐに)でも「農神祭(のうじんさい)()」を(おこな)ったり悪魔崇拝(あくますうはい)魔術(まじゅつ)(おこな)多数(たすう)(ちい)さな宗派(しゅうは)存在(そんざい)します。

 

インターネットには、農神祭(のうじんさい)()(いわ)(かた)についての奇妙(きみょう)なページも数々(かずかず)あります!(すく)なくとも悪魔(あくま)太陽(たいよう)崇拝者(すうはいしゃ)はこの季節(きせつ)本当(ほんとう)意味(いみ)()っているのです!

 

イエス・キリストの誕生(たんじょう)は「最初(さいしょ)聖夜(せいや)(ファースト・ノエル)」だったのでしょか?

 

聖夜(せいや)(ファースト・ノエル)」はよく使(つか)われる言葉(ことば)です。有名(ゆうめい)なクリスマス・キャロルの(ひと)つというだけではなく、コップや宝珠(ほうじゅ)、ガラス(だま)(はな)やかな(いろ)包装紙(ほうそうし)、ご近所(きんじょ)芝生(しばふ)設置(せっち)されて(ひか)(かがや)文字(もじ)サインなど(いた)(ところ)()にします。

 

最初(さいしょ)聖夜(せいや)天使(てんし)()げたのは、()()()()()ていた(まず)しい羊飼(ひつじか)いのもとでした」という有名(ゆうめい)賛美歌(さんびか)歌詞(かし)はよく()られています。このように、多神教(たしんきょう)言葉(ことば)天使(てんし)によるキリスト誕生(たんじょう)告知(こくち)()()れられています。(おお)くの人々(ひとびと)は「聖夜(せいや)(ファースト・ノエル)」は(たん)に「最初(さいしょ)のクリスマス」を意味(いみ)するのだろうと(かる)(かんが)えていますが、そうではありません。

 

この()はケルトに起源(きげん)があり、古代(こだい)のゴール地方(ちほう)現在(げんざい)(きた)フランスおよびブルターニュ地方(ちほう))で使(つか)われていた(ふた)つの()novo Hel(ノボ・ヘル)から()ています。Novoは「(あたら)しい」、Helは「太陽(たいよう)」を意味(いみ)します。この古代(こだい)(ふた)つの()現代(げんだい)英語(えいご)では”novice”(ノビス:初心者(しょしんしゃ))と”heliograph”(ヘリオグラフ:日照計等(にっしょうけいなど))にあたることがおわかりになるでしょう。つまり「(あたら)しい太陽(たいよう)」、あるいは冬至(とうじ)という一年(いちねん)(なか)昼間(ひるま)時間(じかん)(なが)くなり(はじ)める最初(さいしょ)()となるという意味(いみ)です。

 

この祝日(しゅくじつ)は、(おどろ)程似通(ほどにかよ)った習慣(しゅうかん)馬鹿馬鹿(ばかばか)しい信仰(しんこう)によって様々(さまざま)()多神教徒(たしんきょうと)異教徒(いきょうと)(あいだ)(いわ)われていた古代(こだい)の「農神祭(のうじんさい)()」に(ほか)なりません。太陽信仰(たいようしんこう)はあらゆる未開(みかい)異教徒(いきょうと)民族(みんぞく)氏族(しぞく)国々(くにぐに)事実上共通(じじつじょうきょうつう)していました。

 

(じつ),キリスト生誕(せいたん)様々(さまざま)時期(じき)様々(さまざま)人々(ひとびと)(あいだ)毎月(まいつき)(いわ)われています。(なん)世紀(せいき)もの(あいだ),それは1(がつ)(いわ)われました。今日(こんにち)でも、十二宮(じゅうにきゅう).そして多神教(たしんきょう)農耕(のうこう)儀式(ぎしき)意味(いみ)する「クリスマスの12日間(にちかん)」という一般的(いっぱんてき)表現(ひょうげん)があります。()()えれば、多神教徒(たしんきょうと)太陽神(たいようしん)(いの)りを(ささ)げて季節(きせつ)(きざ)しを(いわ).つまり.(ひる)(なが),(あたた)かくなり、(ふゆ)(こおり)(ゆき)をとかし、(あら)たな(いのち)(ふたた)芽吹(めぶ)(はじ)めるように「北方(ほっぽう)緯度(いど)太陽(たいよう)(ふたた)(もど)(はじ)める」ことを不屈(ふくつ)太陽(たいよう)、あるいは無敵(むてき)太陽(たいよう)(ねが)うのです。

 

このような「奇妙(きみょう)」な信仰(しんこう)を「キリスト(きょう)」の信仰(しんこう)()()れる(こと),普遍的(ふへんてき)教会(きょうかい)世界中(せかいじゅう)多数(たすう)国々(くにぐに)(かず)()れない程多(ほどおお)くの未開(みかい)人々(ひとびと)を「改宗(かいしゅう)」させました。クリスマスの起源(きげん)The Origins of Christmas)という(ほん)では(つぎ)のように記述(きじゅつ)しています。「欧州各国(おうしゅうかっこく)の、ローマ,ドイツ,ケルトの(まつ)りでは(ふゆ)(はじ)まりを(いわ)った。(あら)たな(いのち)約束(やくそく),イエス・キリストという,世界(せかい)(あら)たな(ひかり)告知(こくち)する(こと)によって,キリスト教信仰(きょうしんこう)古代(こだい)世界(せかい)(はじ)まり,(ひろ)がっていった。(すこ)しずつ,(とき)(すす)むに()れて宗教的祭日(しゅうきょうてきさいじつ)(こよみ)(ととの)えられ,古代(こだい)儀式(ぎしき)多神教(たしんきょう)(いわ)いに()って()わっていった」

 

しかし,象徴(しょうちょう)演技(えんぎ)(ともな)古代(こだい)儀式(ぎしき)多神教(たしんきょう)(いわ)いは「キリスト(きょう)」に()って()わられる(こと)(けっ)してありませんでした。(ひと)(ぶた)をアヒルだといくら主張(しゅちょう)したとしても,(ぶた)(ぶた)でしかないのです。

 

キリスト誕生(たんじょう)(ふゆ)ではありません

 

キリストは12(がつ)25(にち)やその前後(ぜんご)誕生(たんじょう)されたのではありません。聖書(せいしょ)には(つぎ)のように()かれています。「(はじ)めての()()み、(ぬの)にくるんで()葉桶(ばおけ)()かせた。宿屋(やどや)には(かれ)らの()まる場所(ばしょ)がなかったからである。」

 

「その地方(ちほう)羊飼(ひつじか)いたちが()()まりながら、夜通(よどお)(ひつじ)()れの(ばん)をしていた。(よく注意(ちゅうい)してください!(放牧(ほうぼく)されていた)(ひつじ)はもっと(はや)時期(じき)羊小屋(ひつじごや)(あつ)められます。(とし)()わりに「()(とど)まっている」(ひつじ)はいません。9(がつ)あるいは11月初旬(がつしょじゅん)ならばこのような光景(こうけい)()ることはできますから、このことは十分(じゅうぶん)証拠(しょうこ)となります)」

 

この(てん)については,著名(ちょめい)解説者(かいせつしゃ)(あいだ)でもほぼ意見(いけん)一致(いっち)しています。古代(こだい)ユダヤの風習(ふうしゅう)Jewish Antiquities(あらわ)したバーンズ,ドッドリッジ,ライトフット、ヨセフ・スカリゲルも全員(ぜんいん)12(がつ)25(にち)はキリストの誕生日(たんじょうび)ではあり()なかったということで一致(いっち)しています。ヨセフ・ミードは,この問題(もんだい)(かん)する(なが)論文(ろんぶん)(つぎ)のように()べています。「キリストの誕生時(たんじょうじ)女性(じょせい)子供(こども)(すべ)居住(きょじゅう)する都市(とし),(たと)長距離(ちょうきょり)(たび)をしてでも(ぜい)(おさ)めに()かなければならなかった。しかし真冬(まふゆ)にこのような(たび)をすることは、(とく)子供(こども)(かか)えた女性(じょせい)子供達(こどもたち)には(てき)さなかった。」したがって,キリストは真冬(まふゆ)誕生(たんじょう)したとは(かんが)えられない。キリストの誕生時(たんじょうじ)羊飼(ひつじか)いたちは夜通(よどお)(ひつじ)()れを見張(みは)って野宿(のじゅく)していたが,このことは真冬(まふゆ)ではあり()ない。この地域(ちいき)(ふゆ)(かぜ)がたいして(さむ)くなかったと(かんが)える(ひと)がいるとしたら,()げたり女性(じょせい)子供(こども)(たび)をするのに(ふゆ)過酷(かこく)時期(じき)かどうか,福音書(ふくいんしょ)にあるキリストの言葉(ことば)(おも)()すと()い。「()げるのが(ふゆ)安息日(あんそくび)にならにように,(いの)りなさい」

 

キリストご自身(じしん)(つぎ)のように()われています。「そのとき((にく)むべき破壊者(はかいしゃ)(せい)なる場所(ばしょ)()(とき)ユダヤ(キリストが誕生(たんじょう)された場所(ばしょ)にいる人々(ひとびと)(やま)()げなさい。」

 

屋上(おくじょう)にいる(もの)は、(いえ)にある(もの)()()そうとして(した)()りてはならない。

 

(はたけ)にいる(もの)は、上着(うわぎ)()りに(かえ)ってはならない。

 

「その()身重(みおも)(おんな)乳飲(ちの)()()(おんな)不幸(ふこう)だ。

 

()げるのが(ふゆ)安息日(あんそくび)にならにように、(いの)りなさい。

 

「そのときには、世界(せかい)(はじ)めから(いま)までなく、今後(こんご)(けっ)してないほどの(おお)きな艱難(かんなん)()るからである」(マタイによる福音書(ふくいんしょ)24(しょう)1621(せつ)

 

イエス・キリストが,(ふゆ),身重(みおも)女性(じょせい)乳飲(ちの)()()女性(じょせい),ユダヤの地方(ちほう)または山間部(さんかんぶ)()げなくても()いように(いの)りなさいと()われたことに注目(ちゅうもく)してください!さらに, ローマ政府(せいふ), その被支配民族(ひしはいみんぞく),(きび)しく危険(きけん)(たび)真冬(まふゆ)強制(きょうせい)するようなことはしませんでした。ローマ政府(せいふ)目的(もくてき)課税(かぜい)のための国勢調査(こくせいちょうさ)をすることであって,民衆(みんしゅう)反乱(はんらん)をおこさせることではありませんでした。したがって,政府(せいふ)(たび)をするのに(もっと)困難(こんなん)時期(じき)ではなく、(もっと)(てき)した季節(きせつ)(えら)んだと(おも)われます。

 

キリスト誕生(たんじょう)告知(こくち)(かん)する記述(きじゅつ)(つづ)いてみて()ましょう。

 

「すると、(しゅ)天使(てんし)(ちか)づき、(しゅ)栄光(えいこう)(まわ)りを()らしたので、(かれ)らは非常(ひじょう)(おそ)れた。

 

天使(てんし)()った。「(おそ)れるな。わたしは、民全体(たみぜんたい)(あた)えられる(おお)きな(よろこ)びを()げる。

 

今日(きょう)はダビデの(まち),貴方(あなた)がたのために(すく)(ぬし)がお()まれになった。この(かた)こそ(しゅ)メシアである。

 

「あなたがたは、(ぬの)にくるまって()葉桶(ばおけ)(なか)()ている乳飲(ちの)()()つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」

 

「すると、突然(とつぜん)、この天使(てんし)(てん)大軍(たいぐん)(くわ)わり、(かみ)賛美(さんび)して()った。

 

「いと(たか)きところには栄光(えいこう),(かみ)にあれ,()には平和(へいわ),御心(みこころ)(かな)(ひと)にあれ。(実際(じっさい),この(せつ)原文(げんぶん)は、「()御心(みこころ)(かな)(ひと)(あいだ)平和(へいわ)あれ(Peace on earth among men of good will)」)となっています)

 

天使(てんし)たちが(はな)れて(てん)()ったとき、羊飼(ひつじか)いたちは、「さあ、ベツレヘムへ()こう。(しゅ)()らせてくださったその出来事(できごと)()ようではないか」と(はな)()った。

 

「そして(いそ)いで()って、マリアとヨセフ、また()葉桶(ばおけ)()かせてある乳飲(ちの)()(さが)()てた。」(ルカによる福音書(ふくいんしょ)2(しょう)(せつ)16(せつ)

 

羊飼(ひつじか)いと、「マギ(占星術師(せんせいじゅつし))」とも()われる東方(とうほう)三博士(さんはかせ)(しゅ)(しゅ)(おう)(おう)承認(しょうにん)せざるを()なかったゾロアスター教司祭(きょうしさい)のペルシャ人信者(じんしんじゃ)信徒(しんと)(おも)われます)が()葉桶(ばおけ)(よこ)()っている様子(ようす)数多(かずおお)くの絵画(かいが)映画(えいが)(ほん)、そしてもちろん(おお)くの芝生(しばふ)(かざ)りに()かれているのを(みな)さんはご(らん)になっているでしょう。

しかし、マギがベツレヘムに到着(とうちゃく)したのは(なん)()(げつ)もの(たび)(あと)、おそらくキリスト誕生(たんじょう)一年(いちねん)ほど(あと)でした。それにもかかわらず、やみくもに「習慣(しゅうかん)」を()()れる人達(ひとたち)にとっては歴史的事実(れきしてきじじつ)(なん)意味(いみ)もありません。

 

マタイによる福音書第(ふくいんしょだい)2(しょう)注意深(ちゅういぶか)(まな)んでください。ヘロデがもし子供(こども)のキリストが()まれて(いち)()週間(しゅうかん)だとわかっていたなら、()えて二歳以下(にさいいか)(おとこ)子全員(こぜんいん)(ころ)すようなことはしなかったでしょう。ヘロデは、(ほし)(あらわ)れた(とき)(かん)して東方(とうほう)三博士(さんはかせ)注意深(ちゅういぶか)()いただしていたので、二歳以下(にさいいか)(おとこ)()(すべ)(ころ)すよう(めい)じたのです。(つぎ)記述(きじゅつ)注目(ちゅうもく)してください。マギが「・・・(いえ)(はい)ってみると(()葉桶(ばおけ)ではありません)、幼子(おさなご)(あか)(ぼう)乳児(にゅうじ)とはされていません)が(はは)マリア()(とも)におられた・・・」(マタイによる福音書(ふくいんしょ)2(しょう)16(せつ)

 

このことも、「キリスト(きょう)の」習慣(しゅうかん)(いわ)っていると(しん)じているものの、聖書(せいしょ)記述(きじゅつ)注意深(ちゅういぶか)()もうとはしてこなかった数多(かずおお)くの人々(ひとびと)無知(むち)(しめ)しています。

 

クリスマスツリーの起源(きげん)(なに)でしょう?

 

異教徒(いきょうと)(あいだ)樹木崇拝(じゅもくすうはい)はほぼ共通(きょうつう)しています。現在(げんざい)でも()()られる(まえ)に「()精霊(せいれい)謝罪(しゃざい)する」、樹木(じゅもく)精霊(せいれい)宿(やど)ると(しん)じる人達(ひとたち)がいます。

太古(たいこ)時代(じだい)から樹木(じゅもく)には数千種類(すうせんしゅるい)もあり、人間(にんげん)にとって非常(ひじょう)役立(やくだ)ってきたことから、古代(こだい)人類(じんるい)樹木(じゅもく)様々(さまざま)神性(しんせい)(いだ)いてきました。樹木(じゅもく)人間(にんげん)のために、()()からバナナ、果実(かじつ)からシナモンの()のようにスパイスに使(つか)われる樹皮(じゅひ)まで数多(かずおお)くの()(もの)()()します。熱帯地方(ねったいちほう)中東(ちゅうとう)でよく()られるやしの()は、いかだやカヌー、(いえ)屋根(やね)建材(けんざい)(ふく)原料(げんりょう)、ココナッツやなつめやしの()といった(おお)くの食物等(しょくもつなど)()さまざまに利用(りよう)されてきました。

 

しかし、樹木(じゅもく)崇拝(すうはい)したのは「太古(たいこ)」の人々(ひとびと)だけではありませんでした。プラトンやアリストテレスなど著名(ちょめい)なギリシャの哲学者(てつがくしゃ)樹木(じゅもく)には人間同様(にんげんどうよう)理性(りせい)があると(おし)え、「感情(かんじょう)」があると(しん)じていました。古代(こだい)エジプト(じん)人間(にんげん)(いのち)樹木(じゅもく)(いのち)(つな)がっており、人間(にんげん)運命(うんめい)樹木(じゅもく)運命(うんめい)一致(いっち)するという迷信(めいしん)()っていました。紀元前約(きげんぜんやく)1000(ねん)(むかし)有名(ゆうめい)なエジプトの寓話(ぐうわ)、「二人(ふたり)兄弟(きょうだい)物語(ものがたり)the tale of two brothers)」では、兄弟(きょうだい)一人(ひとり)が「アカシアの(はな)(うえ)(こころ)(のこ)しています」が、()()(たお)された(とき)()んでしまいます。

 

これは「黒魔術(くろまじゅつ)」と関連(かんれん)しています。人々(ひとびと)人形(にんぎょう)のようなものにピンを()()てることで相手(あいて)病気(びょうき)にしたり怪我(けが)()わせたり(ころ)すことすらできる(のろ)いをかけられると(しん)じるブードゥー(きょう)のように、(おお)くの人々(ひとびと)人間(にんげん)(いのち)()(いのち)密接(みっせつ)(むす)びついていると(しん)じていました。(ゆび)(つめ)(かみ)()、その(ひと)密接(みっせつ)関連(かんれん)()(しな)などを()()()むことで、異教徒(いきょうと)自分達(じぶんたち)()と「個人的(こじんてき)な」(ふか)(つな)がりを()られると(しん)じました。そして、もし(えだ)がきられたり調(しら)べられたり、()()れるようなことになれば、(ひと)病気(びょうき)にかかったり()んだりするのだと(かんが)えました。

 

百科事典(ひゃっかじてん)()には樹木崇拝(じゅもくすうはい)という多神教(たしんきょう)概念(がいねん)満載(まんさい)されています。樹木(じゅもく)人間(にんげん)(なん)らかの(きずな)霊的(れいてき)(つな)がりがあるという共通(きょうつう)(かんが)えが世界中(せかいじゅう)(おお)くの国々(くにぐに)習慣(しゅうかん)()られます。(ひと)病気(びょうき)()(うつ)すことができると(しん)じる人達(ひとたち)もいました。(かれ)らは病気(びょうき)にかかった(ひと)(かみ)()洋服(ようふく)一部(いちぶ)所持品(しょじひん)あるいは(つめ)などを()隙間(すきま)(あな)()()みました。ブリタニカ百科事典第(ひゃっかじてんだい)()11(ばん)によると、()()いて、その隙間(すきま)病人(びょうにん)(とお)()け、()()れなければ病人(びょうにん)回復(かいふく)するということも(しん)じられていたようです。インドのコルワ(ぞく)()布切(ぬのぎ)れをかけて様々(さまざま)(むら)(まも)(がみ)神殿(しんでん)としていました。初期(しょき)のアメリカでも、ネブラスカ(しゅう)では、()(えだ)(もの)をかけることで精霊(せいれい)機嫌(きげん)をとり、獲物(えもの)()れたり天気(てんき)()くなるという(めぐ)みを(あた)えてもらうことを(しん)じている人達(ひとたち)もいました。

 

進化(しんか)(ちち)」チャールズ・ダーウィンも樹木崇拝(じゅもくすうはい)普遍性(ふへんせい)経験豊(けいけんゆた)かな(たび)見聞(けんぶん)し、(みなみ)アメリカで()た、布切(ぬのき)れや(にく)、タバコまで様々(さまざま)なものが(ささ)げられた()(かん)する光景(こうけい)(しる)しました。(さけ)(ささ)げられるだけでなく、(うま)までもが()生贄(いけにえ)にされていました。

 

古代(こだい)から、ヨシュアや古代(こだい)イスラエルの占領時代(せんりょうじだい)に、パレスチナの多神教(たしんきょう)国々(くにぐに)では、「木立(こだち)」を崇拝(すうはい)していたことを聖書(せいしょ)では記録(きろく)しています。(おか)(うえ)雑木林(ぞうきばやし)多神教(たしんきょう)神殿(しんでん)とされていました。(はやし)中心(ちゅうしん)()(こずえ)(えだ)()()とされ男根象徴(だんこんしょうちょう)や「(かみ)」の(かお)のように彫刻(ちょうこく)されることもありました。ある顕著(けんちょ)(れい)注目(ちゅうもく)してください。

 

「イスラエルの人々(ひとびと)は、自分(じぶん)たちの(かみ)(しゅ)(たい)して(ただ)しくないことをひそかに(おこな)い、見張(みは)りの(とう)から(とりで)(まち)(いた)るまで、すべての(まち)(せい)なる高台(たかだい)()てた.

 

「どの小高(こだか)(おか)にも、どの(しげ)った()(した)にも、(はしら)木立(こだち))やアシェラ(ぞう)()てた:

 

(しゅ)(かれ)らの(まえ)から(うつ)された諸国(しょこく)(たみ)(おな)じように、すべての(せい)なる高台(たかだい)(こう)をたき、(あく)(おこな)って(しゅ)(いか)りを(まね)いた。」(列王記下(れつおうきげ)17(しょう)911(せつ)(かみ)現在(げんざい)私達(わたしたち)(めい)じておられるように、(かれ)らに「異国(いこく)(たみ)(みち)(なら)うな!」と(めい)じられました。(かみ)私達(わたしたち)に、(あたま)のおかしな野蛮(やばん)無知(むち)異教徒(いきょうと)崇拝(すうはい)する「やり(かた)」を「ユニーク」で「可愛(かわい)い」と(おも)い、(かれ)らが「キリスト教徒(きょうと)」であるかのようなふりをしてその習慣(しゅうかん)をとりいれてはならないと(めい)じられているのです。

 

(かみ)()われました。「(かれ)らは(しゅ)(おきて)と、(しゅ)先祖(せんぞ)たちと(むす)ばれた契約(けいやく)と、(かれ)らに(あた)えられた(さだ)めを(こば)み、(むな)しいものの(あと)()って(みずか)らも(むな)しくなり、(しゅ)(おな)じようにふるまってはならない(めい)じられたのに、その周囲(しゅうい)諸国(しょこく)(たみ)(なら)って(あゆ)んだ。」(列王記下(れつおうきげ)17(しょう)15(せつ)

 

多神教(たしんきょう)のアモリ(じん)、アマレク(じん)、バビロニア(じん)、ドルイド(そう)、チュートン(じん)、ケルト(じん)、ギリシャ(じん)、エジプト(じん)、ローマ人達(ひとたち)現代(げんだい)(よみがえ)ったならば、(かれ)らは「キリスト教徒(きょうと)」が(おこな)っている(おお)くの習慣(しゅうかん)自分達(じぶんたち)()っていたものだとすぐにわかるでしょう。

 

しかし、数多(かずおお)くのモミやトウヒ、バルサム(じゅ)()(たお)すという(かんが)えはどこから()たものでしょう?専門家(せんもんか)(おお)くは、ドイツ、ヘッセンのガイスマーで多神教徒(たしんきょうと)のチュートン(じん)崇拝(すうはい)していた「偉大(いだい)なるジュピター(しん)(かし)」の()伐採(ばっさい)したとされる「(せい)ボニファティウス(可愛(かわい)(かお)という意味(いみ)があります)」の寓話(ぐうわ)から派生(はせい)していると(かんが)えています。その寓話(ぐうわ)()てみましょう。イングランドの宣教師(せんきょうし)「ウィンフレッド」と()われる「ボニファティウス」が巨大(きょだい)(おお)きく(えだ)()っている「神聖(しんせい)なるジュピター(しん)(かし)()」を崇拝(すうはい)している異教徒(いきょうと)(もと)()へやって()ました。丁度(ちょうど)その(とき)(あわ)()王子(おうじ)アサルフが「ジュピター(しん)」の生贄(いけにえ)にされようとしていましたが、ボニファティウスと(かれ)武装兵士達(ぶそうへいしたち)がそれを()めさせて王子(おうじ)(すく)いました。そしてボニファティウスはその()()(たお)すよう(めい)じました。この(はなし)には様々(さまざま)(せつ)があり、その()、ボニファティウスが(おな)場所(ばしょ)常緑樹(じょうりょくじゅ)()えたというものや、(かみ)奇跡(きせき)によって翌日(よくじつ)数日後(すうじつご),その場所(ばしょ)(ちい)さなモミの()出現(しゅつげん)し、この(あたら)しい(ちい)さな()は「(いのち)()」であり「キリスト」を象徴(しょうちょう)するとボニファティウスが異教徒(いきょうと)(かた)った、というものもあります。

 

(まった)奇妙(きみょう)(こと)です。背教者(はいきょうしゃ)教会(きょうかい)やその信者(しんじゃ),(つね)融通(ゆうずう)をきかせて異教徒(いきょうと)(かれ)らの崇拝(すうはい)象徴(しょうちょう)固執(こしつ)する(こと),その象徴(しょうちょう)(たん)(ちが)()()()ぶことで(ゆる)してきました。

 

(さき)(はなし)(べつ)(せつ)では、ボニファティウスは(たお)れた(かし)()から「(せい)ペテロ」に敬意(けいい)(あらわ)教会(きょうかい)()てました。たいした(かし)()です!

 

現在(げんざい)無知(むち)な「キリスト教徒(きょうと)」の(なか)には「常緑樹(じょうりょくじゅ)永遠(えいえん)(いのち)象徴(しょうちょう)だ」とたわ(ごと)(くち)にする人達(ひとたち)もいます。

 

しかし,この(はなし)には(さら)(ふる)(せつ)もあります。最初(さいしょ)都市(とし)都市国家(としこっか)()てたニムロド(創世記(そうせいき)10(しょう)812(せつ))は,太陽神(たいようしん)タンムズであるともされていましたが,()(たお)された(あと)一夜(いちや)にして(みき)から若木(わかぎ)()えさせた神木(しんぼく),ニムロドもしくは太陽神(たいようしん)の「復活(ふっかつ)」を象徴(しょうちょう)するものとして(えが)かれました。

 

多神教(たしんきょう)古代(こだい)スカンジナビア(じん)樹木(じゅもく)崇拝(すうはい)しており、(かれ)らの「冬至祭(とうじさい)」や(ふゆ)農神祭(のうじんさい)()では、神木(しぼく)やモミの()使(つか)ったリースや(えだ)室内(しつない)(かざ)ることが特色(とくしょく)となるのは自然(しぜん)なことでした。ローマ(じん)(みどり)木々(きぎ)(えだ)幸運(こううん)象徴(しょうちょう)として「(ローマ(れき)の)(つき)最初(さいしょ)()」や1(がつ)1(にち)交換(こうかん)しました。

 

現在(げんざい)巨大(きょだい)樹齢(じゅれい)(かさ)ねた()になり()何百万(なんびゃくまん)()というベイマツ()、トウヒ、バルサム樹等(じゅなど)(うつく)しい針葉樹(しんようじゅ)や、何百万(なんびゃくまん)もの家々(いえいえ)建築(けんちく)樹脂製品(じゅしせいひん)(かみ)など(おお)くの有益(ゆうえき)製品(せいひん)として使(つか)われうる木々(きぎ)が、その()わりに()(たお)され、トラックや列車(れっしゃ)(はこ)ばれて(はち)()(がね)()めて()てられ「キリスト教徒達(きょうとたち)」に()られ、室内(しつない)宝珠(ほうじゅ)やガラス(だま)(かざ)()けをされています。

 

()がしおれて()れると、それは火災(かさい)原因(げんいん)となります。毎年(まいとし)、クリスマスツリーの電飾(でんしょく)誤配線(ごはいせん)によって()くなる子供達(こどもたち)家族(かぞく)がいます。

 

クリスマスツリーについて(かみ)(なに)()われているのでしょうか?注目(ちゅうもく)してください。「イスラエルの(いえ)よ、(しゅ)があなたたちに(かた)られた言葉(ことば)()け。

 

(しゅ)はこう()われる、異国(いこく)(たみ)(みち)(なら)うな(てん)(あらわ)れるしるしを(おそ)れるな。それらを(おそ)れるのは異国(いこく)(たみ)のすることだ。

 

「もろもろの(たみ)(おそ)れるものは(むな)しいもの、(もり)から()()された木片(もくへん)木工(もっこう)がのみを()るって(つく)ったもの

 

金銀(きんぎん)(かざ)られ、()(がね)をもって固定(こてい)され、身動(みうご)きもしない。」(エレミヤ(しょ)10(しょう)14(せつ)(かみ)が「異国(いこく)(たみ)(みち)に」(なら)うなと()われた(さい)(かみ)文字通(もじどお)りのことを意味(いみ)されています。(さら)注目(ちゅうもく)してください。「あなたが()って()(はら)おうとしている国々(くにぐに)(たみ)を、あなたの(かみ)(しゅ)()やされ、あなたがその領土(りょうど)()て、そこに()むようになるならば、

 

注意(ちゅうい)して,(かれ)らがあなたの(まえ)から(ほろ)ぼされた(あと),(かれ)らに(したが)って(わな)(おちい)らないようにしなさい。すなわち,これらの国々(くにぐに)(たみ)はどのように神々(かみがみ)(つか)えていたのだろう。わたしも(おな)じようにしよう」と()って,(かれ)らの神々(かみがみ)(たず)(もと)めることのないようにしなさい。

 

「あなたの(かみ)(しゅ)(たい)しては(かれ)らと(おな)じことをしてはならない。(かれ)らは(しゅ)がいとわれ(にく)まれるあらゆることを神々(かみがみ)(おこな)い、その息子(むすこ)(むすめ)さえも()(とう)じて神々(かみがみ)(ささ)げたのである。(これはドイツでジュピター(しん)崇拝者(すうはいしゃ)(おこな)っていたように木々(きぎ)(はしら)やアシェラ(ぞう)への崇拝(すうはい)として(おこな)われました)」

 

「あなたがたはわたしが(めい)じるこのすべての(こと)(まも)って(おこな)わなければならない。これにつけ(くわ)えてはならない。また()らしてはならない。」(申命記(しんめいき)12(しょう)2932(せつ))クリスマスやその()多神教(たしんきょう)(まつ)りは「聖書(せいしょ)追加(ついか)」のようなもので、(たと)聖書(せいしょ)記述(きじゅつ)されていなくても(かみ)とキリストを崇拝(すうはい)する誠実(せいじつ)なキリスト教徒(きょうと)による無害(むがい)創案(そうあん)である、と主張(しゅちょう)する人達(ひとたち)大勢(たいせい)いるでしょう。しかし、(かみ)反抗的(はんこうてき)人類(じんるい)に、崇拝(すうはい)(ほう)(ほう)(かん)して「これにつけ(くわ)えてはならない」と大声(おおごえ)()われています。

 

(かみ)は、世界(せかい)堕落(だらく)した多神教国家(たしんきょうこっか)異教(いきょう)崇拝方法(すうはいほうほう)を、(かれ)らの儀式(ぎしき)象徴(しょうちょう)儀礼(ぎれい)()()れたり、(こと)なる名称(めいしょう)()ぶなど真似(まね)てはならないと,自分(じぶん)(たみ)にはっきりと(めい)じられました。しかし、言語道断(ごんごどうだん)にも(かみ)命令(めいれい)直接背(ちょくせつそむ)いて、数千万(すうせんまん)とういう人々(ひとびと)多神教(たしんきょう)太陽信仰(たいようしんこう)だとすぐにわかる習慣(しゅうかん)(たの)しんでいます。

 

現在(げんざい)では,晩秋(ばんしゅう)から真冬(まふゆ)までの時期(じき)(とお)して(いわ)いが(おこな)われています。ハロウィーン(これはまったく悪魔的(あくまてき)多神教(たしんきょう)(いわ)いです)が()わると,数百万(すうひゃくまん)という商業施設(しょうぎょうしせつ)がクリスマスの装飾(そうしょく)(はじ),店先(みせさき)やショーウィンドウを(かざ)()けます。(かみ)(めい)じられました。「あなたがたの(なか),自分(じぶん)息子(むすこ),(むすめ)()(なか)(とお)らせる(もの),(うらな)(),卜者(ぼくしゃ),易者(えきしゃ)呪術師(じゅじゅつし),呪文(じゅもん)(とな)える(もの),口寄(くちよ),霊媒(れいばい),死者(ししゃ)(うかが)いを()てる(もの)などがいてはならない。

 

「これらのことを(おこな)(もの)をすべて、(しゅ)はいとわれる・・・」(申命記(しんめいき)18(しょう)1012(せつ)

 

(たの)しい季節(きせつ)だ!ファララララーララーラーラ!ヒイラギ(かざ)ろう!(`Tis the season to be jolly! Fa-la-la-la-la, la-la-la-la! Deck the halls with boughts of Holly!)」は有名(ゆうめい)歌詞(かし)です。「クリスマスの季節(きせつ)」とはまさに多神教(たしんきょう)太陽崇拝者(たいようすうはいしゃ)(おこな)っていた冬至(とうじ)(いわ)う「(いわ)いの時期(じき)」と(おな)じなのです。

 

休暇(きゅうか)季節(きせつ)」や「ユールタイド」、「クリスマスの12日間(にちかん)」という言葉(ことば)は「クリスマス」休暇(きゅうか)や「クリスマスの季節(きせつ)」を暗示(あんじ)するのに一般的(いっぱんてき)使(つか)われています。」

 

ユール・ログ(クリスマスの大薪(おおまき))とはどこから()たのでしょう?

 

「ユールタイド」とは一体何(いったいなん)でしょう?「ユール・ログ(クリスマスの大薪(おおまき)」とは(なん),どこから()たのでしょう?(おお)くの「現代(げんだい)の」習慣同様(しゅうかんどうよう),ユール・ログも古代(こだい)神話(しんわ)迷信(めいしん)起源(きげん)があります。冬至(とうじ)(あらわ)北欧(ほくおう)言葉(ことば)goel,”g”英語(えいご)”y”のように発音(はつおん)されますから”yeol”(イユール)あるいは”yool”(ユール)になります。ブリタニカ百科事典(ひゃっかじてん)()(だい)11(ばん)では,(つぎ)のように記述(きじゅつ)しています。「ユールという言葉(ことば)は「クリスマスの季節(きせつ)」を意味(いみ)するようになった」「この()(ユール)は(おも)古語(こご)()詩的言語(してきげんご)(もち)いられてきたが、「ユール・タイド」や「ユール・ログ」(など)()()わせで使(つか)われる(こと)一般的(いっぱんてき)で・・・、12(がつ)1(がつ)()()(げつ)()していた。12(がつ)は「ユールの(まえ)」(se aerra geola)、1(がつ)は「ユールの()」として冬至(とうじ)前後(ぜんご)にくる(つき)とされていた。言語学者(げんごがくしゃ)フィック(A.Fick)によると、ユールは騒音(そうおん)騒々(そうぞう)しい(こえ)という意味(いみ)で、キリスト教以前(きょういぜん)時代(じだい)のスカンジナビアの人々(ひとびと)(あいだ)(とし)()わり()祝賀(しゅくが)時期(じき)であった。」(同書(どうしょ) (だい)28(かん)946ページ)

 

クリスマスツリーとユール・ログについて、ヒスロップは()べています。「クリスマスツリーは現在私達(げんざいわたしたち)にとって一般的(いっぱんてき)であるが、多神教(たしんきょう)のローマ(じん)やエジプト(じん)(あいだ)でも(おな)じく一般的(いっぱんてき)だった。エジプトではヤシの()、ローマではモミが使(つか)われた」

 

ヤシの()多神教(たしんきょう)救世主(きゅうせいしゅ),バール・タマール(Baal-Tamar)を,モミはバール・ベリ(Baal-Berith)を(あらわ)している。太陽神(たいようしん)かつ偉大(いだい)調停神(ちょうていしん)であるアドニスの(はは),神話(しんわ)()()えられ、()姿(すがた)のまま(かみ)である息子(むすこ)()んだとされる。(はは)()であったなら、息子(むすこ)(えだ)とされていただろうし、これがクリスマス・イブにユール・ログ(大薪(おおまき))を()にくべ、翌朝(よくあさ)にはクリスマスツリーが(かざ)られる起源(きげん)だろう。しかし、(まき)という象徴(しょうちょう)(あらわ)されるように(かれ)()(はい)ったのだろうかという疑問(ぎもん)もあるかもしれない・・・ユール・ログ(クリスマスの大薪(おおまき))は、太陽神(たいようしん)として神格化(しんかくか)されたものの、(てき)によって()(たお)されたニムロドの(のこ)りの部分(ぶぶん)であり、クリスマスツリーは、殺戮(さつりく)(かみ)(ふたた)(よみがえ)るというニムロドの蘇生(そせい)(あらわ)している。」(ヒスロップ(ちょ)(ふた)つのバビロン、8798ページ)

 

悪魔(あくま)はバビロニアのニムロドとその(つま)であり(はは)であるセミラミスのエジプト(ばん)であるイシスやオシリスなど、(おお)くの(いつわ)りや()せかけの説明(せつめい)によって聖母(せいぼ)御子(みこ)のもとへの道筋(みちすじ)をつけました。

 

多神教徒(たしんきょうと)がこのようにして、地上(ちじょう)(てつ)(しゃく)(おさ)めるために(もど)られる救世主(きゅうせいしゅ)統治者(とうちしゃ)、イエス・キリストではなく、「聖母(せいぼ)とその御子(みこ)」の象徴(しょうちょう)である「(はは)(うで)(なか)(ちい)さな(あか)(ぼう)」を崇拝(すうはい)するようになったというのは想像力(そうぞうりょく)飛躍(ひやく)ではありません。結局(けっきょく)(かれ)らはその崇拝(すうはい)数千年(すうせんねん)(つづ)けたのです!しかし、(かみ)言葉(ことば)はイエス・キリストを(はは)(かげ)(かく)れる存在(そんざい)として(えが)いてもおらず、ニムロドの(つま)であり(はは)である「(てん)女王(じょおう)」セミラミスへの崇拝(すうはい)(うなが)してはいません!

 

クリスマス・ディナー―イノシシの(あたま)、ガチョウ、七面鳥(しちめんちょう)

 

多神教(たしんきょう)のあらゆる祝祭(しゅくさい)では()(もの)や、(とく)()(もの)重要(じゅうよう)です。現在(げんざい)欧米(おうべい)キリスト教諸国(きょうしょこく)では数千万(すうせんまん)という人々(ひとびと)がクリスマスの時期(じき)に「職場(しょくば)のパーティ」や近所(きんじょ)のパーティをはじめ、学校(がっこう)での(げき)から大規模(だいきぼ)なコンサートまでクリスマスを(いわ)様々(さまざま)行事(ぎょうじ)(たの)しんでいます。

 

「トムとジェリー」というカクテルは古代(こだい)の「(いわ)いの(さけ)」の影響(えいきょう)()けています。バッカス(さい)のどんちゃん(さわ)ぎでは豪華(ごうか)なご馳走(ちそう)とワインが(きょう)されました。ヨーロッパやバルカン諸国(しょこく)のイノシシ()りは王侯貴族(おうこうきぞく)(あそ)びでした。しかし, イノシシは, (おう)食卓(しょくたく)では()獲物以上(えものいじょう)意味(いみ)がありました。多神(たしん)(きょう)神話(しんわ)では、「アドニス(女神(めがみ)アフロディーテに(あい)された美青年(びせいねん))」は野生(やせい)のイノシシに(ころ)されたとされています。このため、(おお)くの(くに)ではイノシシはアドニスへの生贄(いけにえ)とされました。イノシシの(あたま)(おお)くの中世(ちゅうせい)(そして現代(げんだい))のイングランドの食卓(しょくたく)で「(めぐ)み」と(かんが)えられるようになったのは、多神教(たしんきょう)のまた(べつ)神秘主義的(しんぴしゅぎてき)神話(しんわ)によるものです。ヒスロップは(つぎ)のように()べています。「アドニスあるいはタンムズ(太陽神(たいようしん))の()(かん)する(せつ)では、(すで)私達(わたしたち)()っているように、(かれ)はイノシシの(きば)による(きず)がもとで()んだとされている。女神(めがみ)キュベレーに(あい)され、(おな)じようにイノシシの(きば)によって()んだフリギア(じん)のアッティスの寓話(ぐうわ)はアドニスの(はなし)同一視(どういつし)された。(したが)って、一般的(いっぱんてき)有名(ゆうめい)(しん)()では(たん)なる狩猟(しゅりょう)女神(めがみ)とされているディアナは、実際(じっさい)には神々(かみがみ)偉大(いだい)なる(はは)であり、(たん)なる狩猟(しゅりょう)獲物(えもの)というだけではなく、彼女(かのじょ)重要(じゅうよう)位置(いち)()める(ぐう)像崇拝(ぞうすうはい)体制(たいせい)にとっての(てき)(たい)する勝利(しょうり)(しるし)としてイノシシの(あたま)()つディアナの姿(すがた)が(多神教(たしんきょう)彫像(ちょうぞう),肖像画(しょうぞうが),メダル()(など)で)(えが)かれることが(おお)い。・・・魔力(まりょく)()つイノシシの(おこな)いに(たい)して,(おお)くのイノシシの(あたま)()とされ,その(あたま)(いか)()女神(めがみ)への生贄(いけにえ)として(ささ)げられた。」(同書(どうしょ)100ペー()

 

(おな)じく前掲書(ぜんけいしょ)では、ヨーロッパのサクソン(じん)(イサクの息子(むすこ)という「サク」あるいは「サッカ」の息子(むすこ)という意味(いみ)で、いわゆる「(うしな)われた 10部族(ぶぞく)」の一部(いちぶ))が「(あい)するアドニスを(うしな)った」女神(めがみ)へ「クリスマスの()」にイノシシを(ささ)げたと(しる)しています。

 

ヒスロップは(つぎ)のように記述(きじゅつ)しています。「ローマでも同様(どうよう)行事(ぎょうじ)存在(そんざい)したことは(あき)らかである。ローマの風刺詩人(ふうししじん)マルティアリスが「イノシシによって貴方(あなた)()きサテュナリア(農神祭(のうじんさい)())になるだろう」と(しる)しているように,イノシシは農耕(のうこう)(かみ)サトゥルヌスの(しゅく)いの重要(じゅうよう)(しな)だった。(したが)って,その理由(りゆう)がずっと(まえ)(わす)れられてしまっても,イングランドではイノシシの(あたま)がいまだにクリスマス・ディナーのお(さら)()()っている。そればかりでなく、「クリスマスのガチョウ」や「ユール・ケーキ」もエジプトやローマで崇拝(すうはい)されていたバビロニアの救世主崇拝(きゅうせいしゅすうはい)では不可欠(ふかけつ)(しな)だった。」(同書(どうしょ)101ページ)

 

ヒスロップは二枚(にまい)()(あわ)せて()せています。一つはエジプト神話(しんわ)大地(だいち)(かみ)「ゲブ」が(あたま)(かれ)象徴(しょうちょう)であるガチョウを()せているヒエログリフ(象形文字(しょうけいもじ))で、もう(ひと)つは、(あたま)()れて(だい)(くく)()けられているローマの生贄(いけにえ)のガチョウです。

 

かつて背教者(はいきょうしゃ)教会(きょうかい)は、12(がつ)25(にち)をキリストの誕生日(たんじょうび)だとしましたが、それは(たん)にそこから9()(げつ)(さかのぼ)って(かぞ)えた3(がつ)25(にち)を「受胎告知(じゅたいこくち)(まつ)り」としたためでした。「受胎告知(じゅたいこくち)(まつ)り」、それはローマの多神教(たしんきょう)がバビロニアの救世主(きゅうせいしゅ)とその「(かみ)(はは)」あるいは「救世主(きゅうせいしゅ)(はは)」「キュベレー」の奇跡的(きせきてき)受胎(じゅたい)(いわ)うとした3(がつ)25(にち)との(たん)なる偶然(ぐうぜん)一致(いっち)なのでしょうか?

 

当然(とうぜん)多神教(たしんきょう)祝祭(しゅくさい)豪華(ごうか)なご馳走(ちそう)(フィースティング)(饗宴(きょうえん)(フェスティバル)と()意味(いみ))を(ともな)っており、象徴的(しょうちょうてき)意味(いみ)()動物(どうぶつ)がご馳走(ちそう)として(しょく)されました。米国(べいこく)では、七面鳥(しちめんちょう)が「感謝祭(かんしゃさい)」の()玉的存在(たまてきそんざい)となっていますが、これは、木々(きぎ)落葉(らくよう)する11月後半(がつこうはん)簡単(かんたん)()ることが出来(でき)獲物(えもの)七面鳥等(しちめんちょうなど)だったことから原住民(げんじゅうみん)から清教徒(せいきょうと)(おく)られたのがその理由(りゆう)です。しかし、七面鳥(しちめんちょう)には神秘的(しんぴてき)(しょう)徴的意味(ちょうてきいみ)(まった)くなく、感謝祭(かんしゃさい)(かみ)(めぐ)みを(いわ)(くに)祝祭(しゅくさい)であり、多神教(たしんきょう)儀式(ぎしき)装飾(そうしょく)はありません。

 

「ワッセイリング」

 

クリスマス・キャロルの(なか)でも()()られているものは、「Here we come A-Wassailing(さあ酒宴(しゅえん)だ。ヒウイカム ア ワッセイリング)」という(きょく)です。(おお)くの(ひと)はワッセイリングという言葉(ことば)はイングランドかドイツあたりの古代(こだい)言葉(ことば)だと思っていますが、「さあ、クリスマスイブに近所(きんじょ)でキャロル(聖歌(せいか))を(うた)おう」という意味(いみ)だとは()りません。

 

しかし古英語(こえいご)では、ワッセイリングとは「完全(かんぜん)であれ」あるいは「壮健(そうけん)であれ」という意味(いみ)です。

 

Wassailing(ワッセイリング)」という習慣(しゅうかん)は、ジュート(ぞく)首領(しゅりょう)ヘンギストが(もよお)したブリテンのヴォーティガーン(おう)のための(うたげ)で、王女(おうじょ)ロウィーナがワインを()たした(きん)(さかずき)()(ふか)くおじぎをして、「王様(おうさま)壮健(そうけん)であられますように」という意味(いみ)の「Waes hael hlaford Cyningウェーズ・ハイル・フラフォード・キニング)」と()ったことに由来(ゆらい)しているとされています。ヘンリー7(せい)治世時(ちせいじ)王室(おうしつ)規則(きそく)による儀式(ぎしき)では、(クリスマスの12日間(にちかん)の)12番目(ばんめ)(よる)執事(しつじ)がボウルを()って「ワッセイル」と3回叫(かいさけ)びながら(はい)って()ると、王室(おうしつ)礼拝堂(れいはいどう)司祭(しさい)(うた)でこれに(こた)えるとされていました。ワッセイリングは一般人(いっぱんじん)家庭同様(かていどうよう)修道院(しゅうどういん)でも習慣(しゅうかん)とされ、そのボウルはpoculum Cartialisポキュラム・カリタリス)として()られていました。ワッセイリングとして(した)しまれてきた習慣(しゅうかん)は、リボンとローズマリーの小枝(こえだ)(かざ)ったボウルを()った少女達(しょうじょたち)がクリスマスと新年(しんねん)街中(まちじゅう)をキャロルを(うた)って(まわ)るというものでした。この古代(こだい)習慣(しゅうかん)現在(げんざい)もあちこちに(のこ)っており、(とく)にヨークシャー(しゅう)では、そのボウルはヒイラギや常緑樹(じょうりょくじゅ)(つく)られ、12(たい)のリボンで(かざ)った人形(にんぎょう)(なか)()れた「the vessel cup:ヴェセル・カップ」と()われています。このカップを(ぼう)()せて、子供達(こどもたち)家々(いえいえ)をクリスマス・キャロルを(うた)いながら(まわ)ります。デボンジャーなどではクリスマスと大晦日(おおみそか)果樹園(かじゅえん)(ふたた)()です!)でワッセイルを(おこな)習慣(しゅうかん)がありました。健康(けんこう)(ねが)乾杯(かんぱい)言葉(ことば)とともに水差(みずさ)しに()れたエールやリンゴジュースを()根元(ねもと)(そそ)ぐのです。(ブリタニカ百科(ひゃっか)事典(じてん)()(だい)11(ばん)28(かん)361ページ)英語(えいご)の「hale and hearty (ヘイル・アンド・ハーティ:かくしゃくとした」という言葉(ことば)の「hale(へイル:健康(けんこう)な)」が、「wasshail(ワッサイル)」や「wassheil(ワッセイル)」という言葉(ことば)から()ていることがおわかりになるでしょう。

 

様々(さまざま)な「奇妙(きみょう)な」迷信(めいしん)が「ワッセイリング」の習慣(しゅうかん)付加(ふか)されました。ドイツでは、狩人(かりうど)(おす)ジカを(ころ)すと、猟場(りょうば)番人(ばんにん)常緑樹(じょうりょくじゅ)小枝(こえだ)()って動物(どうぶつ)()(ひた)し、「Wass-heil(ワッス―ヘイル)!」というワッセイルによく()言葉(ことば)祝杯(しゅくはい)をあげながらその小枝(こえだ)(わた)します。()のついた常緑樹(じょうりょくじゅ)小枝(こえだ)獲物(えもの)()った狩人(かりうど)帽子(ぼうし)のベルトに(はさ)まれます。

 

現在(げんざい)世界中(せかいじゅう)国々(くにぐに)真冬(まふゆ)のクリスマスや新年(しんねん)(おこな)われている、(とき)馬鹿(ばか)げた迷信(めいしん)一覧(いちらん)以下(いか)()げます。「クリスマスの歴史(れきし)(さかのぼ)る(Back to Christmas Chronicles)」という(ほん)では屈託(くったく)なく(つぎ)のように(しる)しています。「真冬(まふゆ)精霊(せいれい)怪物(かいぶつ)徘徊(はいかい)する(とき)だった。また(はる)到来(とうらい)()(のぞ)(とき)でもあり、(うらな)いや天気予報(てんきよほう)(てき)した時期(じき)だった」以下(いか)がその一覧(いちらん)です。

 

 

1) クリスマスイブの真夜中(まよなか)(みず)はワインに()わり、(うし)(ひがし)()かってひざまずきます。(うま)はひざまずき()葉桶(ばおけ)(あたた)めるかのように(いき)()きます。動物(どうぶつ)はしゃべりますが、それを()いてしまうと(わる)いことが()こります。(動物(どうぶつ)がしゃべるとは(なん)とも可愛(かわい)いですが、(だれ)もそれを()くことで迷信(めいしん)打破(だは)しようがありません!)ミツバチは賛美歌(さんびか)100(ばん)をブンブン(うた)います。

 

2) アイルランドでは、天国(てんごく)(もん)がクリスマスイブの真夜中(まよなか)(ひら)くと(しん)じられています。この(みじか)(あいだ)に、死者(ししゃ)審問(しんもん)()けるのを()つことなく直接(ちょくせつ)天国(てんごく)()けます。-自殺(じさつ)幇助(ほうじょ)したキヴォーキアン博士(はかせ)()はクリスマスイブのアイルランドでさぞ(いそが)しいことでしょう。

 

3) クリスマスイブに()まれた子供(こども)(おお)くの(くに)では幸運(こううん)だと(かんが)えられています。しかし、多神教(たしんきょう)迷信(めいしん)によってギリシャでは、その子供(こども)悪魔(あくま)のように(おも)われ、ポーランドでは狼人間(おおかみにんげん)になると(おも)われています。

 

4) クリスマスの12日間(にちかん)各日(かくじつ)()はその(あと)12()(げつ)天気(てんき)(しめ)すという(かんが)えを()っていた馬鹿(ばか)げた人達(ひとたち)もいました。熱帯(ねったい)やそのほかの地域(ちいき)天気(てんき)(かんが)えてみれば非常(ひじょう)馬鹿馬鹿(ばかばか)しい(かんが)えです。

 

5) ドイツでは、クリスマスに未婚(みこん)少女(しょうじょ)()になって(すわ)り、ガチョウに目隠(めかく)しをして、ガチョウが最初(さいしょ)にぶつかった()一年以内(いちねんいない)結婚(けっこん)するとされました。

 

6) 北欧(ほくおう)では、クリスマスの季節(きせつ)(いえ)(なか)()()やして不運(ふうん)()(はら)います。ユーロ・ログ(クリスマスの大薪(おおまき))がこの習慣(しゅうかん)目玉(めだま)でした。

 

7) 夫婦(ふうふ)のうちどちらが(さき)にヒイラギのリースを(いえ)()って(はい)るか、という「奇妙(きみょう)な」習慣(しゅうかん)もありました。(おっと)(さき)ならば翌年夫(よくとしおっと)家庭(かてい)()仕切(しき)り、(つま)(さき)なら(つま)がそうします。これが(のち)にヒイラギを(うば)()馬鹿(ばか)げた習慣(しゅうかん)になったのかもしれません。

 

8) ギリシャでは、翌年(よくとし)不運(ふうん)()けるために、クリスマスの季節(きせつ)(ふる)(くつ)()やさなければならないと(しん)じられていました。

 

9) 常緑樹(じょうりょくじゅ)(かざ)りが一旦家(いったんいえ)(なか)()てられたら、それを()としたり()てたりしてはならないと(しん)じる人々(ひとびと)もい()ました。()わりに、()やすか、「(うし)(えさ)」にするのです。個人的(こじんてき)に、(わたし)(うし)がモミの()やトゲだらけのヒイラギを()べているのなど()たことがありません。

 

10) イングランドのハートフォードでは、(うし)(つの)にスモモのケーキを()()し、(うし)(かお)にりんごジュースをかけることで収穫(しゅうかく)がわかると()われています。ケーキが(まえ)()ちれば豊作(ほうさく)(うし)ろに()ちれば凶作(きょうさく)になります。

 

11) スウェーデンでは、クリスマスイブは不吉(ふきつ)です。(よる)(あいだ)地方(ちほう)では巨人(きょじん)(ある)(まわ)るので人々(ひとびと)屋内(おくない)にいないといけないと(しん)じられていました。

 

まだこのような馬鹿(ばか)げた習慣(しゅうかん)がたくさんありますが、スペースの都合(つごう)(すべ)てを列挙(れっきょ)する(こと)はできません。その(おお)くは幸運(こううん)のためにミートパイを食べるというようなものですが、(ふゆ)青白(あおじろ)()をつけることから「ヤドリギ」を媚薬(びやく)だと(かんが)える古代(こだい)ドルイド(きょう)迷信(めいしん)のようなものもあります。ヤドリギを玄関(げんかん)ドアや照明(しょうめい)あるいは天井(てんじょう)から()るし、近所(きんじょ)(おく)さんがヤドリギの(した)()場面(ばめん)遭遇(そうぐう)すれば、キスをしてもかまわないというものです。この習慣(しゅうかん)によって一体(いったい)どれほどの喧嘩(けんか)()(あらそ)い、離婚(りこん)などの結果(けっか)(しょう)じたかについての記録(きろく)はありません。

過去(かこ)無知(むち)異教徒同様(いきょうとどうよう)現在(げんざい)の「キリスト教徒(きょうと)」もこのような馬鹿(ばか)げた習慣(しゅうかん)にふけり、無害(むがい)で「奇妙(きみょう)な」習慣(しゅうかん)にすぎないと(しん)じています。

 

イエス・キリストが本当(ほんとう)誕生(たんじょう)されたのはいつでしょう?

 

イエス・キリストが12(がつ)25日前後(にちぜんご)誕生(たんじょう)されたのでなければ本当(ほんとう)はいつ誕生(たんじょう)されたのでしょう?また、その()をある程度正確(ていどせいかく)決定(けってい)することができるなら、イエス・キリストの誕生日(たんじょうび)として(いわ)うべきでしょうか?

 

(おどろ)くべきことに、聖書(せいしょ)にはイエス・キリストの誕生日(たんじょうび)(かん)する()がかりがあります。しかし、福音(ふくいん)著者(ちょしゃ)正確(せいかく)日付(ひづけ)(しる)すことが重要(じゅうよう)だとは(かんが)えておらず、キリスト誕生(たんじょう)にまつわる出来事(できごと)12(さい)になられた(とき)神殿(しんでん)学者(がくしゃ)との問答(もんどう)聖職者(せいしょくしゃ)となられた(とき)、「30歳頃(さいころ)」の出来事(できごと)だけを(かた)っています。聖書(せいしょ)のどこにもイエス・キリストの誕生日(たんじょうび)やノア、アブラハム、モーセ、ダビデ、ダニエル、使途(しと)パウロなど聖書(せいしょ)有名(ゆうめい)人物(じんぶつ)誕生日(たんじょうび)をキリスト教徒(きょうと)(いわ)うようにとは(めい)じていません!

 

悪魔(あくま)偉大(いだい)偽善者(ぎぜんしゃ)です。悪魔(あくま)(かみ)(たみ)(だま)して(あやま)った方向(ほうこう)(みちび)くためにはどんな(こと)もする巧妙(こうみょう)詐欺(さぎ)()です。悪魔(あくま)は「(ちい)さな失敗(しっぱい)でも失敗(しっぱい)失敗(しっぱい)」という(ことわざ)()っています。実際(じっさい)に、「(つみ)」という言葉(ことば)は「失敗(しっぱい)する」という意味(いみ)です。(ちい)さな(ひと)つの()(きず)であってもモナ・リザの微笑(ほほえ)みの()台無(だいな)しにしてしまうように、おいしい食事(しょくじ)へのほんの「(すこ)し」の(どく)でも(ひと)(ころ)()るのです。人々(ひとびと)不可思議(ふかしぎ)多神教(たしんきょう)象徴(しょうちょう)()()れてその習慣(しゅうかん)(いわ)いながら、それを「キリスト(きょう)である」とすることで「失敗(しっぱい)する」ならば、万物(ばんぶつ)創造主(そうぞうしゅ)が「異国(いこく)(たみ)(みち)(なら)うな」と(めい)じられたことに(そむ)いて創造主(そうぞう&#